11.ソメイヨシノ

 もうしばらくすると花見の話が出る季節になってきた。個人的に花見をすることはまずない。移動中に、きれいに咲いた花を見ることはあっても、わざわざ出かけて行ってまで見ることはない。決して嫌いなわけではないのだが、心を揺り動かすものがない、とでも言えばよいのだろうか。花を見ることが目的では、どうも行動を起こすところまで行かないのである。もう少し何か付加価値があれば行動を起こせるのであるが、桜にはそれがちょっと足りない。ソメイヨシノによく似た木に山桜がある。山桜とソメイヨシノは、木を見ただけでは素人には見分けがつかない。しかし、開花の時期になると、素人でも見分けがつくようになる。ソメイヨシノは花が先で、散った後に葉が出てくる。山桜は葉が先に出てくるのですぐに区別がつく。花も白っぽい色である。さすがに山桜というだけあって、山の木々との調和を考え、バランスよく花と葉が交じり合っており、違和感のない安心感のようなものがある。そこへいくと、ソメイヨシノは一気に花だけが咲き、あっという間に散ってなくなってしまう、というわがまま勝手なところがある。雨でも降れば、さらに開花日数が短くなってしまう。枝に汚いガクだけが残った状態になっているにもかかわらず、まったく申し訳なさそうなところがない。人をからかっているようなところのある木である。花見をするとなると、日にちの設定は一番頭を悩ますところであろう。ソメイヨシノは温度の上昇(厳密には冬の寒さも関係するらしいが)で咲くため、早すぎるときは寒くて花見にはならない。遅すぎるときは、花ではなく枝を見ながらの酒であるため、風流な面持ちはなく、ただひたすら酒を飲むだけになってしまう。最高にいい花見は、気温が穏やかで、ちらほらと花びらが落ちてくるころである。しかし、このような花見は計画してできるものではない。

 花が散った数週間後に、ソメイヨシノは葉を青々と茂らせている。そこに多くの小さなさくらんぼができている木がたまにある。この光景は毎年繰り返されているはずであるが、ちょっと不思議なことに気が付いた。さくらんぼが発芽してミニソメイヨシノができるはずであるが、それがまったくない。樫の木であれば、どんぐりが発芽して、木の下には多くのミニ樫の木ができているものである。それにしても一本もないというのは不思議である。鳥が食べたものが、違う場所で発芽するようなことがあってもよいのではないだろうか? そんなくだらないことを真剣に考えていたところ、驚きの文章を見つけた。それによると、『ソメイヨシノが種子をつけることがある。赤黒い小さなさくらんぼができることがある。これは、ソメイヨシノ以外の桜の花粉が、ソメイヨシノについてできた種子である。だからこの種子を育てても、ソメイヨシノは育ってこない』*というものである。確かに、近所にはソメイヨシノ以外に山桜がある。開花の時期もほとんど同じである。しかし、この文章ですっきりしないのは、「ソメイヨシノは育ってこない」というところである。これは、発芽はするが、それは山桜とソメイヨシノの交配種のため厳密な意味でソメイヨシノでないのか、それともまったく発芽しない、という意味なのかがはっきりとしないことである。これはどうしてもこのままでは済まされないので作者に確認を取った。そうすると、このさくらんぼはほとんど発芽しないということであった。しかし、いろんな条件で発芽実験をしたわけではないので、まったく発芽しないとも断定できないということであった。自然界ではあまり例が見られないらしいという返答であった。これで疑問は解決したのであるが、この文章の続きにさらなる驚きの文章が出てきた。『どこにでもある多くのソメイヨシノに対し、もし誰かが、「こんなに多くのソメイヨシノが、すべてたった1本の木から、種子を使わずに増やされたのだ」と言えば、どう思われるだろう。信じられない人も多いだろう。しかし、これは事実である』* いくら事実でも、ここまでくると知識として持っておくにはいいが、話題にするには問題がある。嘘だと疑われないためにも、これは本当に「ここだけのはなし」にしておいたほうがいい。

    *「不思議の植物学:田中修(中公新書)」