58.レンゲ

 食べ物を口に運ぶ道具として、西洋ではナイフとフォーク、スプーンがある。東洋では箸がメインである。インドでは右手の指をうまく使って手で食べる。それぞれの国で育った人にとっては、それらが最もふさわしい道具ということになる。したがって、いきなり違った道具を使ったのではうまく食べることができない。当然味にも影響してくる。尾頭付きの鯛をナイフとフォークで食べようとは思わないし、たとえ食べたとしても美味しくはないだろう。ここは、箸できれいに骨から身を外して食べれば、美味しさもさることながら、残された骨の美しさにもほれぼれとしてしまうだろう。パスタはどうか? 確かにフォークは、うまく絡めることができ食べやすい。しかし、フォークをくるくると回すのが煩わしい。スコップのようにザクっと突き刺し、そのまま口へ運び、ズズッとすすり込むのがいい。ただ、トマトベースのものは、カレーうどん同様に、服に飛び散るのが難点である。

 いろいろな道具を使うにはそれなりの理由があるのはよく理解できる。しかし、全く理解できない使い方を要求されるものがある。それはレンゲである。優雅な形と陶器製に高級感と歴史を感じる。これで中華スープやラーメンの出汁を飲むのは非常にいい。白を基調にしているので、スープの色がはっきりとわかる。適度な厚みがあり口当たりがいい。ここまでは非常に素晴らしい道具なのである。しかし、スープ以外でこれを使うとなると、どうも納得がいかないのである。炒飯を頼むと必ずレンゲが添えられている。これがことのほか食べにくい。レンゲですくった炒飯を口に入れるが、全てを口の中に収容できない。米粒が数個レンゲの死角に残るのである。レンゲをどの角度で口に入れても残る。口の形、いや歯の形が悪いわけではないと思う。レンゲの形が悪いのである。

 そもそもレンゲとは何なのか? 蓮の花(蓮華)が散った時の花びらに似ているので、散蓮華というのが正式名称のようである。これを知ってしまうと、むげに形が悪いとは言いにくくなってしまう。何とかもう少しこれをうまく使えないかと努力してしまう自分がいる。それでも、炒飯が残り少なくなると、レンゲの厚みが邪魔をしてパラパラの炒飯が逃げてすくえない。仕方なく皿を持ち上げ、下品ではあるが口へ転がり落とすことになる。店によっては周りの目が気になり、口へかき込めない場合がある。このような店ではスプーンをもらうようにしている。これだと非常に食べやすく満足度は倍増である。しかし、陶器製のレンゲと違って重厚感がない。なんだか薄っぺらさを感じるのである。同時にそれが炒飯のおいしさにも影響しているように思う。正統派のレンゲにするか、合理性を重視したスプーンにするか? いまだに結論を出せないでいる。

 使いやすいレンゲを開発してくれるようなメーカーはないのだろうか? 爆発的なヒット商品になること間違いなしである。すくった量のすべてを口の中へ投入できる安定感。残り少なくなっても確実にすくうことができる安心感。こういうレンゲがあってこそ、炒飯の本当のおいしさが担保できるのである、と信じて疑わないのである。