74.エスカレータ

 当たり前の話であるが、エスカレータは動いているから価値がある。先日、動いていないエスカレータを歩いたが、なかなか歩きにくいものである。各段が縦縞で段差がわかりづらい。しかし、動いているエスカレータを歩く場合は何の不自由さも感じない。そうなると、エスカレータは動いているという潜在意識が常に働いているのかもしれない。特に、最初と最後の部分は1段ごとの高さが違うので、止まっているエスカレータでは非常に歩きにくい。

 今回の話は動いているエスカレータについてである。この当たり前のことが、当たり前でなくなる時をしばしば感じることがある。デパートへ行くとエレベータではなくエスカレータに乗る。エレベータはほとんどすべての階に止まり、しかも満員である。歩いたほうが早いと思えるほど時間がかかる。だから、ベビーカーもエスカレータを使用するのだろう。危険だということが徹底されてきたせいか、最近では見かけなくなった。それでも、館内アナウンスで、ベビーカーの使用禁止を執拗に訴えている。事故が起きた際の責任逃れといった感じがしないでもない。それよりも気になるのは、あのアナウンスの言葉づかいである。「エスカレータでのベビーカーのご使用はアブノウゴザイマスノデ・・・・」これはちょっとアブノーマルである。「危険ですのでおやめください」でいいと思うが、どんなものであろうか。

 エスカレータに乗った本人は動かなくても、エスカレータが代わりに動いてくれる。結果として、エスカレータに乗っている間だけ、人は動かなくても位置を移動することができるのである。ここで問題なのは、乗っている間だけ移動できるということである。降りれば止まってしまうのである。今まで動かなくても問題なく移動してきたので、降りてからも動こうとしない。エスカレータを降りたところで立ち止まったまま指を指し、あっちへ行くべきか、こっちへ行くべきかと二人並んだまま動かない人を見かけることがある。この間にも後ろからどんどん人が来るのである。こんなところへベビーカーが来ると非常に危険である。「アブノウゴザイマスので前へお進みください」と思わず言いそうになる。エスカレータは自分だけを運んでくれるのではなく、エンドレスに人を運んでいるということを忘れているのである。瞬間的に自分の行動と思考が不一致状態になっているのだろう。なぜこのようなことが起こるのか。自分の意思で行動していないことが原因ではないだろうか。

 常に自分の意思で周りとの位置関係を確認する必要があるように思う。家庭、職場、会社、業界、世間等、比較するものを多く持つ必要がある。意外なところで勘違いをし、迷惑をかけていることがあるかもしれない。よく言われることに、「○○の常識は××の非常識」というものがある。間違っていることでも、毎日接していると当たり前になってしまうのである。常に意識して、新鮮な目でものを見ようとしていないと流されてしまう。今のように流れが速い時代においては日々の精進が大事である。

 かつてはエスカレータの片側を空け(関東・関西で空ける側が逆)、歩く人に譲るのが常識であったが、最近ではエスカレータで歩くのは非常識ということになってきた。