57.割り箸

 割り箸について思うことがある。割りばしの存在について是か非かということは、ここでは問題が大きすぎるので取り扱うことをやめておく。「使う」ということを前提に話を進めていくことにする。気になったきっかけは、通常使っている割り箸に比べると、いくぶん短い割り箸が出てきたからである。これは全く使いにくい。それほど極端に短いわけではない。ほんの少しなのであるが、この少しが気になって食べることに集中できない。長すぎる場合は、持つ部分を少し下に下げれば、問題なくいつもと同じ状態を保つことができる。しかし、短い場合はどうにもならない。物をつかむ場合は、その分だけ手を近づけなければならない。食べる時はより口の近くまで運ばなければならない。なんとなく、手で食べているような感覚になってくる。これは明らかに味に影響してくる。レストランで紙やプラスチックの器に入った料理が出てきたらどんな感じがするであろう。触ることのない器を見るだけでも、美味しさが半減するであろう。見るだけでも“がっかり度”は相当なものである。それが、毎回、物をつかみ口へ運ぶ道具である箸に違和感があれば、食事どころではなくなってしまうのは当たり前である。割り箸を短くすることで、資源の節約になることは十分理解できる。かつ、この差が購入費用を下げることも理解できる。しかし、この件については、上記で記したように今回は触れない。

 割り箸は麺類を食べることに関しては、最もふさわしい道具だと思っている。これほど食べやすい道具はない。いくら高価な塗り箸でも、つるつるではこうはいかない。それだけに割り箸を提供する以上は、使いやすいものをお願いしたい。もう1点、割り箸に関しての要望は、木目のいいものを置いてもらいたい。一目で安物とわかるものに木目の悪いものが多い。2つに割ると、均等に割れず片方が極端に大きくなる。当然もう一方は極端に小さい。この小さいほうが持ちづらいのである。物をつかもうと箸を広げたときに、いつも通り開かないのである。このほんのわずかな違和感が味を左右する。この時はすぐさま割り箸をもう1膳もらう。そして割ってみると、たいてい同じような割れ方をする。3膳目はさすがに遠慮するが、おそらく同じようなものが来ることになると思われる。この場合は極端に大きくなったもの同士を組み合わせて食べる。これならまだ少しは食べやすい。このような心配がないのが竹の割り箸である。これは誰が割っても、どのように力を加えても、間違いなく真っ二つに割れる。これなら心配は無用である。

 割り箸のサイズや品質を落として、浮いた費用を客に還元するのはいいことであるが、それによって客の気分を害しては本末転倒である。いやいや、このような考え方をすること自体が本末転倒なのである。そこまでこだわるのであれば、今の時代に即した行動をとるべきである。マイハシである。ついでにマイストロー、マイスプーンも持ち歩けばさらによし、ということになる。要検討!