千成瓢箪

 千成瓢箪とは縁起のいい響きである。豊臣秀吉の馬印である。しかし、名前の付け方が少々オーバーである。名前が大きすぎる。いくら何でも1,000個は成らないであろう。100個? それでも多いか? ものは試しと、さっそく瓢箪を栽培してみた。もちろん千成瓢箪である。種袋の説明を見る限りかなり小さい瓢箪である。どうせなら、大・中・小と3種類作って比べてみたい。千成瓢箪を植える場所は、ベランダの下に決定した。ここだとベランダからネットを垂らし、それへ上らせることができる。いい案だと思ったが、少々考えが甘かった。つる全体の重量が重過ぎたのである。ベランダの手すりに括り付けていたひもが切れて、ネットが落下してしまった。大急ぎで再度ネットを引き上げようとしたが、その重さたるや半端ではない。やっとの思いで取り付けを完了した。問題はこれだけではなかった。つるの先端がベランダの手すりまで到達したのである。洗濯物や布団が干せない等、苦情が出たので先端を切ったが、それでもまだ伸びてくるつるは下へとUターンさせた。

 さて、完熟したものを順次収穫し加工である。瓢箪は中身(種)を完全に出してしまわなければならない。これが想像を絶するほど大変なのである。瓢箪の種を取り除くためには、中身を腐らさなければならないのである。そうすることで、種を包んでいるスポンジ状のものが溶け出して種が出せるようになる。瓢箪に電気ドリルで穴をあけ、菜園の土を少々入れる。土の中の雑菌が瓢箪を腐らせてくれる。これを水の入ったバケツに入れ、落し蓋をしてナイロン袋で覆い、1週間から10日漬けておく。加工時期はすぐにわかる。ものすごい臭いを発するからである。これはあくまでも瓢箪表面の腐敗であって、中身のほうはまだこの時点ではそれほど臭っていない。中身の臭いは種を抜く作業に入ってからである。納豆、ドリアン、鮒ずし、くさや等、くさいものは数あれど、これらはすべて食べられるものの臭いである。ドリアンを除けば、発酵食品の臭いである。瓢箪の臭いは食べられないもの(腐敗物)の臭いである。もうそれだけで相当なものである。したがって、この作業を日中に行うことはできない。暗くなってから、こっそりとおこなわなければならない。臭いによるめまいと眠気との戦いである。そしてもう一つ必要なものは根気である。せっかく臭いに慣れたころに休憩すると、再開時はまためまいのするような臭いから始めることとなってしまう。とにかく、決めたところまでは一気にやってしまわなければならない。

 こうして種を抜いた瓢箪は、水につけて臭いを抜く。10日程度、毎日水を替えて臭いがなくなるまで行う。相当な量があるのと、大瓢箪もあるので、漬ける容器も大きなものが必要である。わが家で最も大きい容器はバスタブである。しかし、いくら何でも真夏に2か月間(収穫時期がずれるのでトータルで2か月程度かかる)使用することは無理である。それ以上に家族から臭いに対する苦情が出る。そこで、次に大きい容器である洗濯機を使用した。もちろん、家族が使用する衣服用の洗濯機ではない。個人使用で菜園作業専用の洗濯機である。これは重宝した。これ以外に漬物用の樽が3個とバケツが2個である。臭いが抜ければ、あとは乾燥させて出来上がりである。

 出来上がったものを一堂に広げると圧巻である。これらを見ていると、幾多の苦労が思い出され、瓢箪を使っての作品作りに進めない。それよりもなによりも、創作意欲がわいてこないのである。どうもあの時の強烈な臭いが、脳の創作・創造をつかさどる部分から瓢箪というものを消し去ってしまったようである。作品作りに取り掛かるには、もうしばらく時間が必要である。種を抜いただけの瓢箪ではあるが、これ自体が作品といえなくもない、と自分自身を慰めてみるが、むなしさだけしか残らない。

 大事なことを忘れていた。千成瓢箪はいくつなるかということである。苗を4本植えてこの結果である。それほど多くなることもないというのが結論である。大瓢箪は1本の木で1、2個にすると大きなものを収穫することができる。どちらを栽培するにしても、十分な覚悟を決めたうえで栽培しないと後悔することになる。

 決して瓢箪から駒は出てこなかった。出てきたのは腐った中身とものすごい数の種、そして恐ろしいほどの臭いだけであった。

※白いものは陰干し、茶色は炎天下で日光浴