日照権

 日照権とは、よく耳にする言葉ではあるが詳細については知らない。ということで早速調べてみた。「日照権そのものを規定する法律はなくて、自分の住む建物に対して日が当たることを保護する権利」のことらしい。なんとなくすっきりしない表現であるためか、どこまで主張していいのかわからないのも当然である。特定の業者が新興住宅地として一定区画を開発した場合などはほとんど日照権の問題は生じないだろう。古い町並みの住宅街で、古民家が解体され更地になった土地が売り出された場合などはこの問題が起こりそうである。従来あったものと形状の違ったものができると、当然周りへの影響が出てくる。今まで日が当たっていたところが影になる場合も出てくる。気持ちのいい朝日が入らなくなることもあるだろう。そこで出てくるのが日照権である。これは難しくて手に負えない。もっと簡単な日照権について考えてみた。

 わが菜園内の日照権を巡る熾烈な争いについて書いてみたい。メヒシバは地面を這うように四方八方に広がる。そして、一定の長さに伸びると、ところどころの節から根を出し、そこを拠点にさらに四方八方に広がる。ところが、自分より背の高い植物に上部を覆われると、負けじと方向転換し上へ伸びる。自立できるほど茎が丈夫ではないから近隣の植物に寄り添って成長する。そしてしっかりと周りの植物と対等に日光を確保する。しかしそれ以上には伸びることが出来ない。ここでの日照権争いは引き分けということになる。

 もう一件、こちらは以前に書いた近隣のお寺への参道に植えられた桜である。周りは大木が生い茂りうっそうとしている。その道の両脇に子供が桜の苗木を植え、名札をぶら下げている。それらのほとんどすべて枯れてしまった(わずかに数本が細々と生き残っているだけである)陽が入らないことで光合成ができなかったのだろう。周りは大木だらけで、日照権を争うことすらできなかったものと思われる。このように植物に関して日照権は死活問題である。

 わが私生活を振り返ってみると、完全な夜型の生活を送っている。夜遅くまでどうでもいいような作業を続けている。朝(?)起きれば太陽を避けながらアトリエへ直行である。そしてまたここでもどうでもいいような作品作りを続けている。これではいけないと深く反省である。天気のいい日は外へ出て、太陽の光を存分に浴びる。だれに気兼ねすることもなく太陽の光を独占できる。ここには日照権は存在しない。しかし、目の保護のためにサングラスは必需品である。目には日陰権の行使である。