5.乗鞍ヒルクライム

【序編】

 自然を楽しみながら運動ができるという程度の思いでロードレーサーを始めた。漠然と走るというのもいいのであるが、やはり何か目標(感動や感激が得られればさらにいい)というものがあってもいいような気がしてきた。そんなとき目にしたのが、全日本マウンテンサイクリングin乗鞍(以下、「乗鞍ヒルクライム」という)である。走行距離:20.5km、標高差:1,260m、平均勾配:6.1%、ゴール地点の標高が2,720m、国内ヒルクライム大会の中では最高所である。走行距離は平坦な道であれば何ということはない。口笛を吹きながら、1時間弱も走れば到着である。わずか20km程度の距離で大会が成立するのであるから、それなりに大変なのだろうということは想像がつく。より現実に近づけるために、いろいろと資料を調べてみた。大変さが想像できるものに形作られてきた。分かるにつれて、何も準備をせずいきなり参加することは、かなり恥ずかしい結果をもたらすであろうということも分かってきた。それだけに、完走すれば大きな感動が得られるだろう。早速準備に取り掛かることにした。このヒルクライムを完走するために行ったのは3つである。1つ目はもちろん完走するだけの体力づくりである。2つ目は完走に大きな影響を与える減量である。体力作りは10か月、減量は8か月を準備期間とした。そして最後が実戦練習である。この実戦練習には六甲山を利用した。ここは乗鞍ヒルクライムに比べると距離は半分程度しかない。平均勾配や最大勾配などは数値を見る限り似たようなものである。ここを上ることでおおよその見当をつけることができる。六甲山ヒルクライムはある程度準備期間を消化し、体力的に自信が持てた時点で実行することとした。

 2月に入り、2016年度の乗鞍ヒルクライムのホームページが立ち上げられた。これによると、3月8日から応募が開始される。一般参加の募集人員は4,000名(これ以外に別途優先出走者が500名)である。抽選に漏れることはないだろう。実施日は8月28日、その前日である27日がエントリーの受付である。くしくも誕生日である。乗鞍ヒルクライム完走の前祝を兼ねた祝宴が必要となる。当然、前夜は宿泊先で盛大な祝杯をあげる。これで途中リタイヤしたときの理由を作ることができたようなものである。

 乗鞍ヒルクライムについては、この後、減量編①、減量編②、トレーニング編、実戦練習編、本番編 を順次掲載する予定である。

 

【減量編①】

 現在乗っているロードレーサーの重量は10kgである。一般の自転車からすると、約半分の重さである。片手で軽々と持つことができる。これくらい軽いロードレーサーでも、レースとなるとさらに軽くするために、余計な付属品を取り外したり、部品を軽量化したりする。そうすることで脚にかかる負担を少しでも軽減させるのである。これは上位争いをする、あるいは記録を狙うような走りをする人たちである。完走を目指す人間にとっては、その程度では全く効果が期待できない。最も効果を発揮するのは減量である。部品の軽量化は数百グラム単位であるが、減量は数キロ単位で軽量化できる。平坦な道では全く気にならない体重も、坂道になるとてきめんに応える。都営地下鉄大江戸線六本木駅のホームから地上まで、階段を歩いてみればよく分かる。エスカレータを使えばよかった、と本気で自分の体重を恨みたくなる。乗鞍ヒルクライムは、ロードレーサーで1,260mも上るのである。恨むどころの話ではない。

 体重は重いよりは軽いほうがいいのははっきりとしている。1~2kgではあまりピンとこないが、もし10kg減らせるとしたらどうか? ロードレーサーの重量がなくなるのである。実際にはありえないことであるが・・・。10kgの減量がどの程度の軽減になるか、ということは実際に走ってみないとわからない。しかし、想像することはできる。減量しない場合は、ロードレーサー1台を背負って走るようなものである。これは想像するだけで、相当な負担増である。ひょっとすると、脚力を鍛えるよりも減量する方が効果的かもしれない。そんな夢のような想像をしながら(結局練習がきついので)、体重を減らす方向を模索することとした。目標は10kg減である。ロードレーサーが「無」になる重量である。空気あるいは風に乗って走っているような感じを求めるのである。これなら少々の坂でも上れるような気になってくる。

 想像はここまでである。ここからは、現実問題を解決していかなければならない。非常に困難な問題に取り組まなければならない。今までさんざんやって失敗した減量である。とても成功するとは思えない、がやらないわけにはいかない。今までの経験から、どうやれば体重が減るかはわかっている。あとはそれをどう実践するかだけである。結論は摂取カロリーを減らせばいいのである。つまり、食べる量を減らせばいいのである。10kgをどの程度の期間で減量するか? 短期決戦だと体調を崩しそうである。長期間で徐々に減らしていくしかないだろう。8か月くらいが適当な期間だろう。では、どのように摂取カロリーを減らすかである。次回は実践編である。

 

【減量編②】

 いよいよ減量の開始である。今まで何回もやって失敗した減量である。今回、失敗は許されない。減量の理屈は簡単である。ただ実践するのが難しいだけである。摂取するカロリーよりも消費するカロリーを多くすればよいのである。今のきつい練習を考えると、消費カロリーをこれ以上に増やすことはほとんど不可能である。摂取カロリーを抑えるしか方法はない。私のような凡人には最も難しい減量方法である。ではどうやって摂取カロリーを減らすか? 毎回の食事量を減らす方法と食事を1回抜く方法がある。毎回食べる量を減らすというのは、毎回苦しい思いをするようで気がすすまない。では、食事を1回抜くことにしよう。いつ抜くか? 朝は1日の始まりである。これを抜いては1日が始まらない。現在は、6枚切りの食パン半分に自家製のジャムを塗って食べている。ヨーグルトには自家製のソースをかける。それと果物、紅茶である。量的にはたいしたことはない。抜くのにはほとんど苦にならない量である。それだけに効果もあまり期待できない。何よりも1日の始まりの儀式として朝食は食べたい。夜はどうか? これは一家団欒、おいしいお酒を考慮すると、抜くことは絶対に無理である。そうなると昼しか残らない。昼は毎日外食であるから抜くことは簡単である。しかし、ホームページのタイトルが「農らり、食らり、飲―んびり」である。この中の「食らり」はランチの店紹介である。昼食を抜いたのでは、店の紹介ができない。さて、困った。これでは抜く食事がない。間食と寝酒を抜くか? と、ここでまたまた弱気が顔を出し始めた。これでは本気の減量にはならない。減量とランチ店紹介を両立させるために、週5回のランチ抜きを実施することとする。週に2回はランチの食べ歩きを継続させる。これで見事に両立である。

 ランチを抜き始めて1か月。早くも効果が出てきた。1kgの減である。気のせいか(?)、お腹回りがややすっきりとした感じがしないでもない。昼食を抜いてもほとんど苦にならない。これは意外と続けることができるかもしれない。この調子で減量を続ければ、8月の大会当日は期待通り10kg減で出場できることになるかもしれない。しかし、このペースでどこまで体重が減るのか? ある程度までいくと、それ以上は減らなくなるかもしれない。その時どうするかが問題である。どうしても大会までに10kgは減量したい。要するにロードレーサー1台分である。これを背負って走っていると思うと、もうそれだけでやる気がなくなってしまう。大会の記録は年齢別で表示される。しかし、ヒルクライムは、年齢別で順位をつけるよりも体重別の順位がふさわしいように思う。柔道やレスリングのように体重別がいい。現状は相撲並みに無差別である。この競技に関しては、体重は年齢よりもはるかに大きなハンデである。・・・とはいえ、年齢は不可抗力であるが、体重は自己責任である、と言われればそれまでであるが。

 というわけで、乗鞍ヒルクライムという、坂道をわずか20km走るためだけに10kg減量した。

 

【トレーニング編】

 エアロバイクを始めて2か月が経過したころ、その効果を実感する出来事があった。60分間のトレーニング終了間際の5分間だけ負荷を2割増しにする。始めたころは、この5分間が耐えられないくらいきつかった。5分どころか1分がとてつもなく長く感じる。息を止めて水の中にいるような感じである。1分近くになると、苦しくてばたばたともがくような感じになる、あの感じと同じである。ここからは1秒、1秒がものすごい苦痛を伴う。肉体的な苦痛だけでなく心肺機能も限界に近い苦痛を感じる。今まで感じていたこの苦痛が、それほどきつく感じなくなってきたのである。慣れなのか体力がついたのか半信半疑である。しかし、はっきりとしているのは苦痛が軽減したということである。

 この苦痛に対する限界はどこにあるのか? これは本人すらもわからない心の限界なのではないだろうか。本当は肉体も心肺も限界に達していないにもかかわらず、苦しさのため心が勝手に限界を設定してしまう。その証拠に、翌日体がきつくて動けないとか、あちこちに痛みが残るとかいうことがない。全くどこも痛くない。普段通りの日常を送ることができる。このことからしても、限界であると思っても、それほど肉体を酷使していることにはなっていないのかもしれない。自分が限界であると思っているところから、さらにその先に限界を持っていくのがトレーニングである。トレーニングには、肉体を鍛えることと同時に、心を鍛える意味があるように思う。肉体を鍛えることにより、きつさが楽になれば心にも余裕ができる。心に余裕ができればさらにきついトレーニングが可能になる。そうすると限界をさらに伸ばすことができる。何とも哲学的なことになってきた。たかが坂道を20km走るだけである。そこまで深刻に考えることもないように思うが・・・。

 色々と理屈をこねているうちに3,600km走った。世界最大の自転車競技であるツール・ド・フランスを上回る距離である。東京―大阪間を3往復したことになる。スポーツクラブのエアロバイクが3,000km、ロードが600km。ロードにはあの過酷な六甲山ヒルクライムが7回含まれている。この過酷さについては別途詳細を記すこととする。

 前回の減量をトレーニングと合わせて計算してみる。このトレーニングで消費したカロリーは99,000kcal。ランチを抜くことで摂取しなかったカロリーが64,000kcal。脂肪1kgを燃焼させるのに9,000kcalが必要と言われているから、理論的には18.1kg体重が減っていることになる。しかし、悲しいかな、ここが凡人の情けないところである。理論値と現実の開きが大き過ぎる。これだけ頑張っても、現実は理論値にはるか及ばない。要するに、ちょい悪オヤジ程度では、しょせんまだまだ厳しさに欠ける若僧なのである。やはり、毎夜の寝酒とつまみがいけなかったか?

 

【六甲山ヒルクライム編】

 いよいよ六甲山ヒルクライムに挑戦である。トレーニングを始めて6か月が経過していた。エアロバイクにより、基礎体力がかなり付いてきたのを実感できるようになってきた。そろそろ実戦形式のトレーニングを取り入れて、本番に向けての調整をしていかなければならない。4月25日9時30分、阪急電鉄逆瀬川駅をスタートする。駅を出てすぐに緩い上り坂が続く。途中ゴルフ場のフェンスに沿っての上り坂である。高校時代の淡い思い出がふと脳裏をよぎる。この先に母校がある。ちょっと寄ってみようかと思ったが、やめることにした。校門直前がものすごい急坂になっていることを思い出したからである。ここで体力を使い果たしてはとても六甲山へは上れない。ちらっと横目で見やり、先を急いだ。

 道路が狭く、交通量が多いのでかなり怖い思いをしながら上る。しかし、この先は違った意味でもっと怖い思いをすることになる。走り始めて数キロは順調に進んだ。それもそのはず、それほど大した勾配ではないからである。スタートから4kmが過ぎ、徐々に六甲山が本性を現し始めると、速度はガクンと落ちる。両手でハンドルを持たなければこげない。したがって、汗を拭くことも、水を飲むこともできない。もし、ここで無理をして水を飲もうものなら、今の激しい呼吸からすれば、胃に入らずに肺に入ってしまうだろう。ほとんど悲鳴に近い呼吸音である。それでもただひたすらこぐのである。まだ時速6~8km程度で走り続けることができる。それからさらにこぎ続けると、曲がりくねった道が続き、勾配が半端ではない。時速4~5kmでよたよたと上ると、またカーブである。その先もまたカーブである。先が見えない不安と勾配のきつさに息苦しさが増す。そうかと言って、直線部分が長くものすごい勾配が見えてしまうのもつらい。どちらにしても心が折れそうになる。心臓も肺も精一杯以上の仕事をしているが間に合わない。両方が口から飛び出しそうになったので、ロードレーサーを止めた。屈辱的な着地である。とても上り続けられる坂ではない。ところどころに急勾配がある。そこに達するとすぐに身体が知らせてくれる。いくら力を入れても前へ進まないのである。腰は痛いしお尻も痛い。意外と足はそれほどでもない。しかし、ダンシング(立ちこぎ)をするほど体力が残っていない。なによりも呼吸が苦しい。これほどの苦痛は高校の陸上部以来である。勾配のきついところは、道幅を一杯に使ってジグザグに走るが、それでも上れない。どうにもこうにも上ることができない急勾配部分で足を着くこと3回。

 鉢巻山トンネルあたりからは勾配も緩くなり、ゴールの一軒茶屋が見えた時には、やっと終わったというのが正直な気持ちであった。距離にして11.4km、標高差828m、平均勾配7.2%、最高勾配16.1%、要した時間は1時間15分。始めての六甲山ヒルクライムとしてはこんなものであろう。

 帰りは、ただただ転がり落ちていくような感じで下っていく。前傾姿勢でブレーキを掛けっぱなしで走るので、下りにもかかわらず結構きつい。走りながら、よくこんな坂を上ったな、と思える場所が至る所にある。ちょっと強めのブレーキを掛けると、つんのめって前へ1回転するのではないかと思えるくらいの急坂である。

 今回の六甲山ヒルクライムで、持久力が十分についていることは確認できた。翌日も、翌々日も全くどこも痛くならなかった。このことからも、六甲山ヒルクライム程度なら体力的には対応が可能であるという自信ができた。しかし、最大斜度16%の急勾配を上りきる瞬発力がない、という事実がはっきりとした。これをどう克服するかが今後の課題である。手っ取り早いのは、やはり・・・減量?

 六甲山ヒルクライムを実施すること7回。始めてのときは足を着くという屈辱を味わったが、その後はトレーニングの強化に減量の効果が加わり、順調にタイムを縮めることができた。最終的には1時間4分台で山頂の一軒茶屋まで上ることができたが、どんなに頑張っても1時間は切れなかった。そのあたりがちょっと心残りである。しかし、もう二度とこの山には上りたくない。それほどきつく、つらく、苦しくて恐ろしい山である。もう、はるか昔に忘れ去っていた「根性」という言葉を何度かみしめたことか。最後は「フィジカル」ではなく「メンタル」だということを、いやというほど認識させられた山である。そういう意味では、人生でのいい勉強をさせてもらった。ちょっと遅すぎた感はあるが・・・。

 

<あといくつ?>

 

<No.112・・・それはないでしょう?>

 

<イヤーな長さの坂>

 

<これが有名な一軒茶屋>

 

<ご褒美はこの景色だけ>

 

【本番編】

 乗鞍ヒルクライムは、ゴール地点が国内最高所となるだけに、スタート地点も1,450mとかなりの高所となる。スタート地点までは自転車での移動ということが原則となっている。そうなると、当然宿泊地もスタート地点の近くということになる。問題はそのような高所に、数千人が宿泊できる設備があるかどうかということである。宿泊場所の確保にはかなりてこずったが、ようやくのことでペンションの一室を確保することができた。これで参加条件がすべてそろうこととなった。

 大会の集合時間は朝6時30分である。7時からクラス順にスタートしていく。オヤジ組のスタートは7時15分である。6時30分に集合するためには、3時には起きなければならない。睡眠時間を考慮すると、寝るのは前日の午後8時ということになる。こんな早い時間に寝るとなると、わずかな量の酒では寝付けないだろうことは容易に想像できる。とりあえず、誕生日と完走の前祝いを兼ねての祝宴の開始である。気が付くと時間も酒量もかなりオーバーしていた。これでは大会が始まる前から結果が出ているようなものである。大会当日は昨夜の液体燃料がまだ残った状態である。走行中にうまく燃焼してくれればいいが、・・・逆流されてはたまったものではない。重たい体を高原の冷たい朝風が引き締めてくれる。少しはきりりとして会場へ向かう。この辺りまでは想定内のことでもあり、それほど落ち込むことはない。

 会場までは延々と続く急坂を走ることになる。ウオーミングアップを兼ねて急坂を3.5km走ったところ、完全にオーバーワークになってしまった。会場に着くと汗びっしょり、脚パンパンである。本番を前にヒルクライムを1本やったようなものである。これはまったくの想定外であった。会場には多くの「坂バカ」が集合している。どの顔を見ても、オレが一番の「坂バカ」だと言わんばかりである。ロードレーサーはスタンドが付いていないので、地面に倒して置く。4,000台が置かれた状態は壮観である。ウエアもロードレーサーもかなりの高級品揃いである。ざっと見積もって12億円程度か? 

 最初の組が7時にスタートしてから待つこと15分。かなり早い組でのスタートである。最終組は8時18分である。スタートして第1チェックポイントのある7kmまでは、勾配も緩やかで走りやすい。それだけにここで無理をしてしまうと後が続かない。ここはじっくりと脚をためることに専念する。中間地点(10km)を過ぎてからは勾配が急になり、ぐにゃぐにゃとつづら折れが続く。このあたりが乗鞍ヒルクライムで平均勾配(8%)の最もきつい部分である。今まで温存したパワーをここで一気に爆発・・・、といきたいところであるが、どうも昨夜の液体燃料が不完全燃焼を起こしているようで思うようにパワーが出ない。液体燃料が爆発せずに、朝食で食べたスイートポテトパイの方が爆発しているようである。ガスが溜まり、腹が張ってしょうがない。これも想定外の出来事である。

 その後はやや勾配が緩くなるものの、森林限界を超えており(標高2,500m)酸素濃度が薄く、ここでも液体燃料にうまく点火できない。不完全燃焼のままである。ずーーっと先まで見通せる長~い坂道、はるかかなたにそびえるゴールの山頂。できるだけ見ないようにするが、怖いもの見たさでつい見てしまう。そのたびに、見なければよかったと後悔する。ゴール近くになると、大雪渓(真夏にもかかわらず雪が残っている)が見える。なぜここだけに雪が残っているのか不思議であるが、感動はまったくない。もうそれだけの余裕がない。寝不足、アルコールの悪影響、大会会場までの急坂、スイートポテトパイの爆発、急坂を長時間走ることでの疲労、酸素不足等、想定内外、自己責任、自然現象が重なり、ここから先はフィジカルではどうにもならない。六甲山ヒルクライムで鍛えたメンタルに頼るしかない。ここで足を着くわけにはいかない。声には出さないが「根性」という言葉が何度も浮かんでくる。

 ひたすらこぎ続けること1時間48分10秒。やっとゴールである。しかし、ゴールラインを通過しても景色はまったくにじんでこない。決してゴールが貧弱だからではない(比較のため、スタートとゴールの写真を添付しておく)。予想していた「大きな感動」というものがない。ただ、無性に変な喜びがこみ上げてくる。「ああぁ~~~! これであのきついトレーニングと減量から解放される。明日から自由だ~~。レアチーズケーキが食いた~~い」。 完走した感動や喜びよりも、トレーニングや減量のきつさからの解放が何よりも嬉しい。果たしてこれでいいのだろうか? こんなものを求めて始めたわけではないのだが・・・。大会のゴールには到達したが、心のゴールにはどこかで道を間違えたような気がする・・・。さて、もう一度心のゴールを探してみようか、それとも結果オーライでこのままそっとしておくか、それが問題である。とりあえず寒いので(山頂の気温11℃)早く下山しよ。そして、レアチーズケーキを食べよ。

 下山して食べたレアチーズケーキは、この世のものとは思えないくらい美味しかった。晩酌のビールもことのほか旨かった。このようにして、間違った感動を得た乗鞍ヒルクライムは、暑い夏とともに去って行った。しかし、間違った感動ばかりではなかった。減量のおかげで、白のT-シャツがよく似合うちょい悪オヤジの誕生には、我ながら数十年ぶりに感動した。結局、減量だけでよかったのでは・・・? 

 この感動をいつまで維持できるのか、気の重い毎日が続く。怖いもの見たさで、ついついレアチーズケーキを見てしまう。美味しそうに見えるが、まだT-シャツの魅力の方が優っている。

 

<さて、出かけるか。ん?なぜか真っ直ぐに走れていない>

 


<全員集合>

 

<スタート1分前>

 

<雲に突入>

 

<森林限界後の世界>

 

<噂の大雪渓>

 

<見過ごしそうなゴール>

 

【番外編】

<早く新蕎麦が食べたいな~>

 

<怖っ! 帰ろ!>

 

<乗り遅れると・・・>

 

<疲れが吹っ飛ぶね!>