8.富士山ヒルクライム

【新たな挑戦】

 去年は乗鞍ヒルクライムの完走ということで、一応の成果を残すことができた。しかし、大きな感動という、心の目標を達成することができなかった。それがどうも心残りで、気持ちのいい正月が迎えられなかった。では、再度乗鞍ヒルクライムに挑戦か? ということになると、あまり乗り気がしない。ではどうするか? あちこちのヒルクライムを見ているときに、目に入ったのが富士山ヒルクライムである。富士吉田から富士山の5合目までの25km(計測距離は24km)を上る。ここは日本で最大の参加者(2016年実績:約8,000名)を誇る。乗鞍ヒルクライムの2倍の参加者である。難易度は乗鞍に比べるとかなり楽である。平均勾配が5%、何よりも最大勾配が7%とかなり緩やかである。完走するだけなら何の問題もないヒルクライムである。ではなぜここを選択したのか? それは日本最大の参加人数である。これだけの人数が参加するにはそれなりの理由があるのだろう。まずそれを見極めたい。それともう一つは、乗鞍での忘れ物の回収である。ただ完走というだけでは、それほど大きな感動を得られないということがわかった。そこで、今回は過酷な条件を設定し、それを達成することで感動を得ようというのである。それは走破タイムである。ちょっと実現が難しいと思われる走破タイムを設定したい。年代別の走破タイムを見ると、ちょい悪おやじ組の優勝タイムは1時間10分である。これは相当速い。ちょい悪ではなく、極悪おやじ級である。こんな極悪おやじと勝負する気はない。30分遅れの1時間40分辺りを目標にするのが妥当であろう。ところが、開催概要を見ていると走破タイムの設定を変えたくなった。理由は参加賞にある。65分以内:ゴールド、75分以内:シルバー、90分以内:ブロンズ、その他:ブルーのオリジナルフレームステッカーがもらえる、となっていた。目標をあと10分縮めればブロンズのステッカーが手に入るのである。90分という走破タイムは、ちょい悪おやじ組の上位15%に入るタイムである。100分でも上位20%である。かなり厳しい時間設定であるが、参加する以上は、それぐらいの設定をしたほうが刺激があるというものである。

 もう二度と上ることがないと思っていた六甲山にも上った。去年と同じタイムで走破できることを確認した。今回のヒルクライムは、六甲山を上るような瞬発力は必要としないが、メンタルの養成は必要である。乗鞍から1年、早くも忘れかけていた「根性」を再度認識するためには是非ものである。坂道を高速で走り続ける持久力が必要となるので、スポーツクラブでのエアロバイクの練習方法を変えた。武庫川サイクリングロードでのトレーニング回数も増やした。どちらも六甲山に負けず劣らずきつい。サイクリングロードでは、10kmの距離を時速30kmでダンシングする。一度もサドルにお尻を付けることなく走り続けるのである。それと忘れてはいけないのが、乗鞍以来続けている減量である。今年も白のTシャツがよく似合うちょい悪度3割増しは健在である。

 ここまでのところ準備は完璧である。前回の乗鞍で経験した数々の想定外を今回は払しょくし、気持ちよくゴールを迎えたい。幸いにも開催日が6月ということで、飲みすぎの危機は免れそうである(去年の乗鞍(8月)は、誕生日と完走の前祝ということで、飲み過ぎでの参加となってしまった)。そして、乗鞍では得られなかった心のゴールを無事に迎えたいものである。

 ・・・「捕らぬ狸の皮算用」とはよく言ったものである。頭の中では何を見ても考えてもすべていい方向に行ってしまう。ただ、すべての狸が毛皮を身に付けていないように見えるのは気のせいだろうか? こうなれば、毛皮はあきらめて、狸汁で「汁算用」といくか? 

 さらに10kgの減量をと思うのだが・・・。今からでは、もうそれだけの時間がない。いや、それ以上にそこまでの根性がない。白のTシャツが似合う程度が限界である。

 

【本番(前編)】

 今回は富士山である。去年はゴール地点が日本最高所である乗鞍ヒルクライムに挑戦した。今年は参加人員が日本最大である富士山ヒルクライム(正式名称:富士の国やまなし第14回Mt.富士ヒルクライム)に挑戦である。今年も去年に劣らぬ練習と減量の二面作戦をとった。順調そうに見えた5月中旬に突然危機が訪れた。「右足首捻挫」+「左ひざの古傷の痛み」である。日常生活では、階段の上りは問題ないが、下りで痛みが発生するという支障が出た。本来ならば参加取り止めになってもおかしくない状況である。が、しかし、自転車をこぐにあたってはまったく痛みが出ない。よかった、と思う反面「また練習を続けるのかよ!」というがっかり感をぬぐえない。

  去年の失敗(乗鞍ヒルクライム本番編参照)を繰り返さないように万全の準備をしての挑戦である。「宿泊地、今回もまたまた大不満であるがしょうがなく、“よーし”としよう」「朝食、“よーし”」「酒量、断酒実行中のため“よーし”」「睡眠時間、“ややよーし”」 あとは、1年間の練習の成果を出すだけである。24kmを90分で走破するためには、平均時速16kmで上らなければならない。これは相当な持久力を必要とする。相手と競争するのではなく、自分の設定した時間との戦いである。

  ここのスタートは乗鞍のような年齢順ではなく、自己申告した走破タイム順でスタートしていく。90分の設定は思った通り若者が多い。やや早めのスタートであるが、それでも集合時間から2時間後の8時スタートである。水分と補給食をとり、柔軟体操で身体をほぐすが、全然時間が経過しない。このままでは体が冷えてしまう。しかし、動けば疲れが残りそうである。それならじっとしているほうがましである、ということでラジオを聞くことにした。入るのは放送大学だけである。古典の講座を聞きながらしばらく過ごす。7時ごろになりようやくFM富士が放送を開始した。これでどうにかスタートまで時間をつぶすことができた。

 さて、ようやくスタートである。会場から計測開始地点までの1kmを集団走行する。ここでじっくり足慣らしをし、そこからゴールまでのタイムが測定される。初めてのコースでありペース配分がわからないので、とりあえず並走することにした。そして、測定開始地点を通過すると一気に速度が上がった。スタートしてしばらくはかなりの急勾配が続く。その後も勾配はかなりある。とても時速16kmで走れる勾配ではない。平均すると時速14km程度である。これでは90分を切ることは絶対に無理である。平均勾配は5.2%となっているが、所々で平坦なところがあるので実際には7%程度の坂が続くことになる。平坦になったからといって、速度を急に2倍にはできない。徐々にしか速度を上げられない。さあこれからどんどん加速しようかというときにはまた7%の坂が始まるのある。これでは平均時速が16kmを確保することはできない。ここのコースのきつさは勾配ではなく、見た目から来る。ずーーーーと先まで見通せる、長ーーーーい直線の坂にある。これが精神的に相当応える。したがって、走っている間中、5m程度先を見るようにして、それ以上先は見ないようにしなければならない。そんな走りをしながら、たまにちらっと先を見て「えぇーー、まだまだ続くのかよ」と思いながら走るのである。ガンバレ脚、ガンバレ心臓、と励ましながら走ること19km。ちらっと時計を見ると、早くも90分が経過していた。一気に力が抜けていく感じがした。ここから先は、1分、1秒でも早くゴールするために、最後の力を振り絞ることになる。全身が痛み始めている。どうにかまともなのはメンタルだけである。

 

<河口湖駅には輪行袋を持った坂バカが続々結集>

 

<前日のお祭り イベント会場1>

 

<前日のお祭り イベント会場2>

 

<男性トイレの大行列 時間つぶしには最適?>

 

<第2集合場所は野球場内>

 

<待ちに待った2時間 ようやくスタートである>

 

【本番(後編)】

 何とか持ちこたえていたメンタルもいよいよ怪しくなってきた。乗鞍ヒルクライムに比べると勾配は緩やかで楽なはずである。急勾配を上るのに比べれば楽なはずだ、と自分に言い聞かせる。しかし、腰の痛みが激しい。今までに経験したことがない腕の痛みも増してきた。ゴール直前の数百メートルは急坂になっているが、それまでの3kmは平坦である。ここで一気にスピードを上げ、わずかでも時間を短縮したい。もう足はほとんど限界状態である。呼吸も苦しい。ダンシングで最後のひとあがきをする。フィジカルの域はとっくに過ぎ、メンタルだけの走りである。そのメンタルもそろそろ限界かと思えた時にゴールが見えた。ヨタヨタ、ヨレヨレのゴールである。慌てて時計を止める。110分になっていた。ペダルのビンディングを外し、ロードレーサーから降りようとするが、外せないくらい足に疲労が来ていた。どうにか外して下りたもののうまく歩けない。しばらく腰を下ろし回復を待った。しかし、それもつかの間、さすがに富士山の5合目である。びしょびしょの半そでのウエアで、このまま座り続けるには寒すぎた。すぐに下山用の荷物を受け取りに行き、冬用のウエアに着替えた。長袖2枚にウインドブレーカー、足にはレッグウオーマーを着けるがまだ寒い。

 5合目のゴールは人でごった返し、なかなか下山の列に並べない。じわじわと移動し、30分程度かけて下山の列に並ぶ。ここからは一気の下山である。乗鞍ヒルクライムと違って、こちらは下山時の速度が速い。時速40kmは当たり前。時速50kmで走っていても抜かれてしまう。下山してすぐに宿へ戻り、ロードレーサーの梱包である。サイクルリング宅急便で自宅へ返送するためである。1時間程度で荷物を作り、着替えをして横浜を目指す。

 今回の富士山ヒルクライムは、目標とした90分から遅れること20分。今現在の最高の走りができてこのタイムである。もうあとこれを1分、2分縮めようとしても、ほとんど不可能である。まったくの脚力不足を実感したからである。ちょい悪オヤジ組の優勝タイムは、74分である。目標としていた90分を切ったのはわずか20人であった。110分34秒というのは、A4用紙で6枚ある完走タイム一覧表の2枚目にどうにか表示される順位である。日本には暴走オヤジや極悪オヤジが多過ぎる。“自称”ちょい悪オヤジ程度では太刀打ちできない。・・・年代別の一覧表を見ていて、「うーん、いいね!」と、にやりとするような内容に気が付いた。都道府県別でみると、このタイムは県内で3番目であった。つまり、「第14回富士山ヒルクライムにおいて、年代別、かつ都道府県別順位は3位」ということになる。これはすごいことである。しかし、ここで誰しもが思う疑問がある。それは、県内から何人が参加したのか? ということであるが、それは聞こえないふりをしてやり過ごすことにしよう。全国区では無理でも、地方区では十分ちょい悪オヤジを名乗れるか?・・・

 今回は全力を出し切ったということで、目標はかなえられなかったが、十分な満足感と感動を得ることができた。ヒルクライムを始めてまだ2年であるが、一応の成果を出すことができたように思う。今後、このヒルクライムとどう向き合っていくか? 新たな課題が一つ生まれた。

 富士山ヒルクライムについては、ここで終わる予定であったが、これではちょっと消化不良を起こしそうである。そこで、次回「おまけ」を追記する。もちろん富士山ヒルクライムの反省と横浜中華街についてである。

 

<5合目のすぐ上にはまだ雪が残っている>

 

<下山の列はどこだ?>

 

<樹海を見るため休憩>

 

<これが樹海か 引き込まれそう・・・>

 

【おまけ(その1)】

 富士山ヒルクライムは、目標時間をクリアするどころかかなり下回ってしまった。やはり、基礎体力の不足ということを素直に認めなければならない。今回はヒルクライムと真剣に向き合うために、ちょっと大げさに言うと、人生の信念を曲げての挑戦であった。このホームページを見ればわかるように、「農らり、食らり、飲~んびり」(のらり、くらり、のんびり)と人生を送る、というのが信念である。つまり、「美味しいものを食べ、美味しい酒を飲み、のんびりと人生を楽しむ」という趣旨である。たとえそれがどんなに苦しいヒルクライムであろうとも、信念を曲げずにやってきた。減量で昼食を抜き、苦しいトレーニングをしても、朝と夜はしっかりと美味しいものを食べ、晩酌と寝酒は欠かさずやってきた。これなくして、どうして楽しい人生を送ることができようか。

 前回の乗鞍ヒルクライムは、明らかに二日酔いでの参加であった。完走はしたが、納得がいかない。本当はどの程度の走りができるのか。今現在の本当の実力というものが知りたくなった。決して曲げてはいけない信念、ホームページを作成する上で守らなければならない基本理念、というものをことごとく破っての挑戦であった。非常にオーバーな表現であるが、そんな意気込みで臨んだヒルクライムであった。富士山ヒルクライムに参加するにあたり、10日間断酒をした。6月1日から10日までである。そして、翌日が本番であるから、二日酔いの心配はない。激しい運動をするにあたり、やはり前日の酒は影響が大きいものと思われる。本意ではないがこれを排除して、今現在における最高の状態での挑戦であった。したがって、この結果については、素直に受け入れざるを得ない。そのための断酒であった。血液検査をすれば、すべての項目ですばらしい数値が並んでいるかもしれない。しかし、ヒルクライムでは、それほどの効果は実感できなかった。結局分かったことは「酒は飲んでも飲まなまなくても大勢に影響はない、という困った体質である」ということだけである。

 ヒルクライムが終われば、即刻断酒の解除である。一目散に横浜中華街を目指す。ここへ来るのは久しぶりである。かつて行列のできていた店も今はひっそりとしている。それに代わって新たな店に行列ができている。わずか数年で店の味や人々の嗜好が変わるはずはない。本当に美味しい店であれば、もっと長期間にわたり行列は続くはずである。相変わらず中華街は客引きが多い。それらはすべて無視し、裏道へ入る。中華街を歩き回っていると、占いの店がやたらと目につく。以前は気が付かなっただけなのか、それとも急増したのかは不明であるが・・・。

 11日ぶりのビールであるだけに、まずい料理ではビールに失礼である。慎重の上にも慎重を重ね、ようやく1軒の中華料理店へ入る。久しぶりに減量と断酒から解放されるということで、さらにその美味しさを増した。風呂上り、暑い日や運動をした後など、ビールが美味しいのは周知の事実である。なかなか実践できないのが、今回のような断酒後のビールの美味しさである。飲んだ実感としては、断酒した日数に比例するような気がする。アルコールが含まれていれば何でもいいかというとそうではない。許されるのはビールだけである。日本酒、焼酎、ワイン、ウイスキー、テキーラ、ウオッカ、紹興酒等、すべてダメである。もちろん、同じようにアワの出るシャンパンでもダメである。ビールの特権とでもいうべき喉越しが必要なのである。これこそがビールの持つ力である。いろんな場面で人生最高のビールを飲んできた。直近ではしまなみ海道走破後のビールがそれである。この次はいつ生まれるのか今から楽しみである。

 結局、過酷なヒルクライムもビールの美味しさに置き換えることになってしまった。人生すべて酒の美味しさが基準になるのかもしれない。

<もっとも横浜らしい景色>

 

<赤レンガ倉庫>

 

<夜の中華街>

 

【おまけ(その2)】

 富士山ヒルクライムが終わり、早くも1か月が過ぎた。ヒルクライムを走ったのが、もうずーっと前のような気がする。先日、富士山ヒルクライムの実行委員会から郵便物が送られてきた。中身は「フィニッシャーリング」と「フィニッシャーシール」であった。フィニッシャーリングというのは、完走者に送られるもので、ロードレーサーのフレーム、フロントフォーク、ステム(ハンドル取り付け軸)を合体させる部分に取り付けられるスペーサーである。これはアルミニウム製のリングで、大会名と完走者という意味でFinisherが刻まれている。フィニッシャーシールは縦型と横型があり、それぞれロードレーサーの見える部分に貼り付けるようになっている。

 さて、これらをどうしたものか? ロードレーサーに取り付けるのは簡単である。ネジ1本を緩めればこれと交換することができる。しかし、見る人が見ればわかるのである。そう、単なる「完走証明書」なのである。このフィニッシャーリングに「ゴールド」「シルバー」「ブロンズ」という色が付いていることが重要なのである。この色でヒルクライムの実力がわかるのである。富士山ヒルクライムをするならば、最低限「ブロンズ」のフィニッシャーリング、というのが坂バカの願いである。<おまけ>で書いたように、体力的にはいくら頑張っても「ブロンズ」には手が届かないことははっきりした。今回のヒルクライムで、10000人以上が参加し、9685人が完走している。乗鞍に比べて富士山は、完走するだけならほぼ確実にできるヒルクライムなのである。勾配が緩やかで制限時間が長いという、完走するための条件がそろったヒルクライムなのである。決して坂バカの域には達していないが、ヒルクライムに挑戦するための準備は、十分過ぎるくらいやって参加している。それだけに、これをロードレーサーに取り付けるには抵抗がある。これらを取り付けた瞬間から、体力・気力の限界を認めてしまうような気がする。まだまだやれる(もう一人の自分は、「絶対に無理」、と断言している)と思っているうちは進歩がある。人間というものは、そのような気持ちがあれば、努力を続けられるようにできているのである。ブロンズのフィニッシャーリングは無理でも、今回の記録よりさらに上を目指して走ることは可能である。参加するだけのヒルクライムの域に達するにはまだ早い。もうしばらくは見栄を張った走りをしていたい。

 ということで、このブルーのフィニッシャーリングは、アトリエで大切に保存しておくことにしよう。「“第14回”のフィニッシャーリング」として。

 

<フィニッシャーシール>

 

<リングの取り付け位置>

 

<フィニッシャーリング 前>

 

<フィニッシャーリング 後ろ>