その1

<その1>径:75×高さ:105mm

 

 典型的な萩焼の湯呑である。購入時に注意書きが同封されていた。萩焼は貫入(表面の釉薬のひび割れ)から水漏れを起こすことがある。その場合は、ゆるいおもゆを入れて一昼夜置いておくように、と書かれていた。まさか、土を固めて釉薬を塗り焼いたものから水が漏れるなどということが本当にありうるのだろうか? 素直に信じることができなかった。はたしてこのようなものが湯呑として実用に耐えうるのだろうか? おもゆが貫入に入ったままで大丈夫なのだろうか? いろいろと疑問がわき出てきたものである。ということで、湯呑にお湯を注いでみた。信じがたいことではあるが、結構な量が漏れることが分かった。やはり、注意書き通りの作業が必要となった。これにより、水漏れはぴたりと止まった。以来愛用しているが、購入時と比べると、色が一段と濃くなった。ところどころに雨漏りのようなシミができ、素晴らしい景色を見せている。今後もますます味わい深いものへと変化していく楽しみを感じさせる。冬の寒い時期には手から伝わる温かさもさることながら、目からも温かさが伝わってくるのを感じる湯呑である。

 

<その2>径:80×高さ:95mm

 これは見た目とはかなり違うが唐津焼(斑唐津)である。ちょっと変わった経歴の作者が作ったものである。窯元まで行き購入したものである。店の前には大きな日除け暖簾が張ってあり、入るのを躊躇させられたのを思い出す。店内は高価なものがずらりと並んでいたが、それらは興味のある分野ではない。日常的に接することができるものがいい。そんな中で最も気に入ったのがこの湯呑である。しっかりと焼き締められ、見た目にも落ち着きがある。高台から底の部分に焼けた土が見え、上部との色の対比がいい。どのような状況の時でも、思わずすっと取出し使ってしまうほど安心感がある。四季を通じて違和感なく使えるのがいい。

 

<その3>径:75×高さ:100mm

 この湯呑は備前焼である。しっかりと焼しめられて、金属に近い硬い音がする。轆轤で引いた後、外面をヘラでそぎ落としてある。ざっくりと9面取ってある。非常に力強く素朴な感じがする。表側(火表)は灰色で裏側は赤レンガ色である。表裏で全く違った顔を見せてくれる。火表は灰が大量に付き、ゴマ状でヤスリのようにざらついている。湯呑の内側は火の流れをはっきりと示すように、火表と同じ側にゴマがついている。登り窯での火の流れ、速さを示すような跡がくっきりと出ている。この湯呑は炎の芸術品というにふさわしい作品である。お茶を飲むたびに、ざらついた口当たりが存在をアピールしてくる。

<その4>径:75×高さ:95mm

 この湯飲みは、見た目にはビアマグのように見えるが小ぶりである。夏場ならビールを飲んでも旨そうな気がする。土は赤味のかかった茶色である。備前や丹 波焼きに近い色である。しかし、内側は上部と同じく淡い草色である。これがありがたい。この釉薬が塗ってあるかないかで、お茶の味が一気に変わってしまう からである。淡い草色をしていることで、お茶の色がよくわかる。したがって、お茶の味がよりはっきりとするのである。通常の湯飲みと違って、寸胴ではなく 上にいくにしたがって広くなっている。このため非常に持ちやすい。大きさもよく、一気に飲み干せる量が入る。表面の幾何学模様はフリーハンドではなく、定 規を当てて鋭利なもので引っ掻いて描いている。これが土ものでほっこりとした湯飲みをきりりと引き締めている。外側は土をむき出しにし、内側は釉薬で別も のにしている。この対比がいい。

 

<その5>径:75×高さ:75mm

 小ぶりで飲みやすい湯のみである。非常に細かい轆轤目がきれいに均等に入っている。湯呑の下がすっとすぼんで高台を兼ねている。センスのいい形をしているだけでなく、安定感がある。土は備前焼のようなやや濃い黄土色をしている。湯呑を二分するように、半分ずつ釉薬をかけてきれいに染め分けられている。釉薬に挟まれた楔形の部分には釉薬がかかっていない。内側も同様に染め分けられている。通常は、器を乾燥させた後、釉薬をかけるのであるが、これは釉薬をかけた後に高台を削り出しているようである。そうでないと、理解できない釉薬の掛かり方である。高台部分には炎が当たっていない。おそらく高台部分と同径のお椀の上に重ねて焼いたものと思われる。見た目にはシンメトリーで安定感のある単純な器であるが、非常に複雑で手の込んだ工程を経た作品である。

 

<その6>径:65mm×高さ:80mm

 かなり小ぶりの湯飲みである。前後にブルーで色付けされている。これは唯一の磁器物であるが、陶器のようなざっくりとした作りになっている。高台の部分を見なければ、白い釉薬がかかった陶器と見間違えてしまいそうである。表面の貫入には黒い色がついているが、内部には貫入が入っていない。どのようにすればこのような現象が起きるのか不思議である。内部はほとんど白に近い色である。そのため、お茶の色がはっきりとわかり、じっくりと味わうのにはいい湯のみである。小ぶりのため、冬でも2煎目まで楽に飲める。

 

<その7>径:80×高さ:95mm

 多数の湯呑を保有しているが、この湯呑は特別である。このような書き方をすると、どこが特別なのかと目を凝らしたくなると思う。今までに並べたものと比べてもらいたい。特別というよりは、違和感を抱くといった方がいいかも知れない。今までの湯呑にはない字が書かれているという点ではない。湯呑に字や絵が描かれているものはあまり好きではない。基本的には土の感触や釉薬、形で表現されたものを好んで集めてきたからである。湯呑を陳列している棚を見ても、これだけがなぜかすぐに目に飛び込んでくる。

 この湯吞は轆轤目が逆なのである。ずらりと並んだ湯呑の轆轤目は右肩上がり(轆轤が右回り)なのに対して、これは左肩上がりなのである。おそらく左利きの作者の作品なのであろう。たったこれだけの違いなのであるが、違いが気になるのである。最近ではこれも器の景色の一部と認められるようになった。湯吞の内側は外面に比べてかなり薄い色使いである。お茶を飲む器であることを意識して作られていることがうれしい。見えない部分ではあるが高台の裏が見事に処理されている。かなり細かい気遣いができる作者であると推測される。

 

<その8>径:80×高さ:93mm

 この湯呑は丹波立杭焼である。立杭焼きは備前焼に近い風合いのものが多いが、これはやや淡い色合いである。内外面共に雲がたなびいたような景色をしている。釉薬が塗られていないので、水分を吸収して色がやや濃くなる。使用前に一度濡らしておくのも風情がある。表面は素焼きの植木鉢のような感じでざらついている。滑ることなく非常に持ちやすい湯のみである。湯呑の下部をわずかに絞り、その後を広げることで何とも言えない安定感がある。高台もきれいに仕上げられ品の良さを感じさせる。内部は明るい色合いで、お茶の色がよくわかって美味しく飲める。萩焼と同様に、長く使うことで色の変化を楽しめそうである。

 

<その9>径:75×高さ:85mm

 これは見た目にはどこの焼き物かわからないような色合いである。窯元を聞くとさらに混乱するだろう。非常に珍しい色合いの備前焼である。備前の青焼きである。さすがに備前焼は色が変わってもしっかりと焼しめられている。叩くとガラスのようなかたい音がする。器の内側には轆轤目があるので、通常の湯飲みと同様に轆轤で引いたものである。その後に、外側をヘラでこそぎ落とし、形作られたものである。一部分をはぎとったようなざらざらした部分に野趣を感じる。斜めに入った切込みがしっくりと手になじむ。高台はないので、べたっと置いた時の安定感がすばらしい。ざっくりとした形であるが、斜めに入った線がきりりと全体を引き締めている。器の中も外と同様な明るい色合いなので、お茶の色がよくわかる。通常のこげ茶色の備前焼に比べると、お茶がさらに美味しく飲めそうである。

 

<その10>径:75mm×高さ:85mm

 備前焼というと、火襷(ひだすき)の入ったもの、焦げ茶色や赤っぽい色が複雑に混ざりあったものを思い浮かべることが多いと思う。しかしこれにはそれらが入っていない。全く備前焼らしさのない備前焼である。じっくり見ると、湯呑の上から下に向かって、微妙に色が濃くなっていくとともに、つやが濃く出ているのである。もちろんこれは火炎がなせる芸術であるため、火炎の当たらない後ろ側にはこの変化は出ていない。それだけに、窯の中における炎の神秘性を強く感じる。じっくりと見なければわからないくらい轆轤目は消されている。さすがに、轆轤の名手といわれた人を父に持つ作家である。轆轤目に指が引っかかるような湯呑ではなく、つるりとした肌触りである。高台は内側まできれいに仕上げられている。全くどこから見ても非の打ちどころのない湯呑である。非常に上品で、陶器というよりは磁器を意識させられる。この凛とした涼やかさから、夏の暑い時期につめたく冷やした煎茶を飲むのに最適である。最高に旨い一杯が飲める。