力量

 家庭菜園をやっていると、彼らから教わることも多い。最近では力量というものを知った。力量とは何か? それぞれの生命体が発揮できる最大限の結果、とでも表現すればいいのだろうか。具体的な例で説明する。毎年スイカを植えている。真夏の暑い時期に、冷えたスイカにかぶりつく爽快感を得たいためである。つるがどんどん伸びて、実を付けだす。このままいけばどれだけ多くの実が付くのだろうと思っていると、そのうちに雌花が咲かなくなってくる。咲いて、受粉しているにもかかわらず、一定の大きさで成長を止めてしまう。その後は萎びてしまう。上手く育てても小玉スイカでは5、6個できるのがやっとである。しかも、あとから授粉したものは最初のものに比べて極端に小さい。これを見ていると、1株のスイカの生命力からは、“これが限界です”というものがおのずと決まっているように思う。カキやヒョウタンはものすごい数の実を付けるが、数と実の大きさは反比例する。数が多くなれば実は小さくなる。結局、1本の木が生産できる量には限界があるということである。ヒョウタンの場合は1本の木で1個のヒョウタンを育てると、非常に大きなものを収穫することができる。ブドウ(巨峰)は多くの花が咲くが、自分で実を落としてしまう。これを“花振るい”という。巨峰では半分くらい実が落ちてしまう。それでもまだ多いと、完熟しなくなってしまう。つまり、収穫時期を過ぎても青いままで甘くならないのである。そのうちに葉がすべて落ちてしまい冬を迎える。情けない光景だけが残ることになる。トマトはどうか、大玉トマトはカキと同じで量と大きさが反比例する。ミニトマトは不要な脇芽(※1)はすべて撤去する。こうすることで適量の枝を作りそこに実を付けるようにする。そうしないと1本の木から枝が大量に出て、ジャングルのようになってしまう。そのジャングルのようなところに無数の花が咲く。これはしめしめ、こんなにたくさん実がなると食べきれないな、と思わずほくそえんでしまう。しかし、現実はそううまくはいかない。徐々に花は咲くが実が付かなくなったり、実はつくが色付かないということが起こってくる。そのうちに夏も終わり、涼しくなってくると全く色付かないまま終わってしまう。

 このように、自分の力量に見合ったものを確実に育て上げようとする堅実派と、とにかく世の中はなるようにしかならない、行けるところまで行ってみよう、という2タイプがあるように思う。どちらにしろ、これらを育てる人間が、自分のスタイルを持たず、放任主義で育てていると、いいものを得ることはできない。すべてのものにそれらが持つ力量というものがある。それを正しく見極める必要がある。と、これを書きつつ、自分の力量を確認してみる。どうしても自分のこととなると客観性に欠ける。力量をかなり過大評価しているところがある。それは十分にわかっている。分かり過ぎるくらいわかっている。それでもそれはそれで“良し”としよう。力量以上のものはこのまま消えるか、完熟しないまま終わるかのどちらかであるから・・・。

 

※1:軸から葉が出ていると、その間から必ず新しい枝が出てくる。これを脇芽という。