20.無用の用

 先日、電車の中で購入したばかりの新書を開いた。なぜだか本に集中できない。決して回りが騒がしいわけではない。美人が近くにいてそちらが気になるわけでもない。なにか違和感があるのである。しばらくして、活字の配置が変だと気が付いた。通常なら、本の中央部か、あるいはやや下側に活字が並んでいるものである。具体的な数字で表すと、本の下側15~20mmは空白になっていることが多い。この場合、上部の空白は25mm前後である。活字全体が、本の中央部分よりやや下側にずらりと並んでいることになる。この形式を見慣れているので、空白の大きさが上下で逆転していると違和感が出るのである。字を目で追って、下まで来て改行しようとすると違和感が出る。何度やってもダメである。集中できない。なぜこのような本があるのか? 植字ミス? 断裁ミス? 要するに欠陥本なのか、といろいろな考えが頭を駆け巡った。結局どうにもこうにも集中できないので、その日は読むのをあきらめた。本に対する敬意は持っているので、購入した本は(原則として)必ず最後まで読むことにしている。後日、再度車内で本を開いた。その時にドキッとするくらい驚いた。先日、あれだけ欠陥本かと疑ったことが恥ずかしくなった。なんと読みやすい本なのかと感動した。車内で読むための配慮を最大限にしてくれているのである。下側の空白部分が28mmもある。これが違和感であったが、車内で本を持つと、この28mmに指がすっぽりと収まってしまうのである。本を片手で持って読むと、どうしても下部の活字の一部が指で隠れてしまう。そのたびに指を微妙に動かさなければならなかった。この動作が必要なくなるのである。非常にありがたい空白である。なぜこのような本に巡り合わなかったのだろう。自宅の本を見てみると、やはり大半の下部空白は20mm以下であった。やや広めで23mmというものが、集英社新書、平凡社新書、祥伝社新書、小学館新書、朝日新書等であった。28mmのちくま新書、講談社現代新書にはわずか5mm及ばない。しかし、この5mmが大きな差なのである。23mmの場合は、残念ながら下部の活字の一部がわずかに隠れてしまう。これなら15mmの場合と読みにくさに関しては同じである。それなら一層のこと、頁数節約のため15mmにした方が活字を多く詰め込める。

 先日まで読むことに集中できなかった本が、最も読みやすい本に変身した。理由がはっきりするとここまで変わるものなのか。慣れというものは恐ろしいものである。それが当たり前のようになってしまっていた。より良いものに出合っていながら、それを違和感として処理してしまうのであるから。

 どうでもいいようなことにひどく感動し、わざわざ書いてみたが、ひょっとするとこれはやはり製作上の制約があり、このようにせざるを得なかった、ということかもしれない。最近読んだポプラ新書は下部空白が30mmもあった。その上、上部空白も大きくて25mmもあった。これは頁数を稼ぐために活字を減らしているとしか思えない。下半分が空白などという本が出ないことを願う。これはまったく無用の無用である。