81.電車の座席

 始発駅から電車に乗ると、よほど込んでいない限り確実に座ることができる。その座席への座り方であるが、ほぼ毎回同じである。座席の両サイドが最初に埋まる。ここまではほとんどの場合一定している。ここからが座る人の性格が出るのである。最初に座った人から1、2人分ずらせて座る人、ものは順番とばかりにすぐ横に座る人の2種類がある。多いのは前者である。これが困る要因の一つである。その座った位置がど真ん中であればよいが、どちらかにずれていると片方がとんでもなく窮屈な思いをすることになる。そもそも電車の座席には座れる人数が決まっているのだから、それに見合う座り方をすればいいのであるが、なかなかそれができない人が多い。半分程度座席が埋まってくると、きっちりと考えながら座らなければ、後々面倒なことになるのである。朝の通勤ラッシュ帯であれば、座席は確実に埋まるのであるから、間をあける必要はないのである。それにも関わらず、中途半端な間隔を空けて座る人がいる。うまくいけばいいが、そうでなければ最も困る座り方なのである。遠慮深い人ばかりならまずこの隙間に座ってくることはないので、ゆったりと座ったまま目的地まで行ける。しかし、ちょっと厚かましい人が来ると確実に“ちょっと失礼”といって座ってくる。この隙間では無理なことが十分にわかっているにもかかわらず、ちょっと失礼の一言で隙間が広くなると思っているから困りものである。魔法の呪文ではないのである。とりあえず座席にお尻をちょっとだけ掛けておき、その後揺れる度にだんだんと深く掛けてゆく。最後にはあたかも最初から座っていましたといわんばかりの格好で座っている。この間、両隣は大迷惑である。そのたびにお尻の位置と上体の位置がずれてくるため、お尻をずらさなければならなくなる。そうはいっても隣にも人がいるためそう易々とはずらせない。その間不自然な体制でいることになる。こんなことが日常茶飯事に起こっているにもかかわらず学習しない人がいるのである。おそらく、何も考えずに座席に座るような人は、家庭でも社会でも自分勝手な状況判断しかできず、問題視されているのではないだろうかと思ってしまう。みんな自分のことで精いっぱい。他人のことを思うやる余裕が感じられない。寛大な家庭、社会ばかりではない。通勤電車に乗っている時間はせいぜい1時間から2時間程度であろう。人生100年時代といわれる昨今、もう少し周りを見回して他人をいたわる気持ちを持つ必要があるように思う。”優先座席”の表示がやけにむなしく感じる。