78.迷彩服

 街中で若者が迷彩服を着ているのを目にすることがある。これに関する起源を突き詰めていくと、何やら怪しい雲行きとなりそうなのでここではやめておく。色だけにこだわって書いてみたい。

 若者は単なるファッションの一部として、この色使いが気に入っているのであろう。色としては灰色系、茶色系、緑色系である。同系色や混合させた色が複雑に絡み合った無機質な構成になっている。他にもあるのかもしれないが、これらが良く見かける色合いである。都会のビル群によく合う目立つ色合い、といったところか? とにかく、都会ではこのような色使いがないので、どこにいてもよく目立つ。目立つことを目的としているので、これはうってつけなのだろう。生地も丈夫そうなので、ラフに着られるのも魅力なのかも知れない。こんな迷彩服であるが、背景が変われば一変する。

 先日テレビで、四季を通じてライチョウを追跡している番組を見た。生態よりも羽の色彩に驚いてしまった。夏毛、冬毛ともに周りの自然環境にぴったりと溶け込んでいる。動かずじっとしていればおそらく気が付かないだろう。それくらいうまく順応している。迷彩服と同じようにうまく色を組み合わせている。

 ライチョウのいるような高山には登れないが、近所の低山をよく散歩をする。ここは自衛隊の訓練場所と一部が交錯している。標高350m、距離にして往復8kmである。2時間かけてじっくりと歩く。心拍数はそれほど上げない。鼻歌を歌うときもあれば、無の境地で一切何も考えずにひたすら歩く時もある。時として、何やら独り言を言っている自分にハッとするときもある。先日もそれがあった。ブツブツと言いながら歩いていると、道の脇の雑木林が不自然に揺れたのを感じた。さっと目をやると、何と人がいるのである。しかも迷彩服を着、木の枝を付けたヘルメットをかぶり、顔は緑色に塗っている。一人ではない。後ろを振り返ると、2~3m間隔で10人程度がいた。全く気が付かないままここまで歩いてきたことになる。「迷彩服恐るべし!」 歩いているところからわずか3m程度の距離でも意識していなければ気が付かない。その後、茂みに停車しているジープを見かけたが、これも見事にカモフラージュされていた。

 目立とうとして目に飛び込んでくる色や動き、それとは全く逆に目立たないようにした色と静止。同じものでも使い方でこれほどの違いが起きるのだということを知った。世の中の流れと自分、目立っているのか、埋もれているのか? 目立ったほうがいいのか、目立たないほうがいいのか? いろいろと考えさせられた迷彩服であった。

 それ以上に「何の独り言を言っていたのか? ひょっとして恥ずかしい内容ではなかったか?」そのほうが気になってしょうがない。無意識とは怖いものである。