68.年賀状

 多くの人が元旦に来る年賀状を楽しみにしていると思う。そんな年賀状も元旦に届けようと思うと、12月25日までに投函しなければならない。楽しみとは打って変わって、大変な重労働である。

 と、いうわけではないが、数年前に年賀状を出すのをやめた。まったく1枚も出さない。来ても出さない。礼を失しているのは十分理解している。それでも出さない。代わりにネットを通じて年始の挨拶をするのか、というとそうでもない。決して世間とのつながりを否定しているのではない。では、どうして年賀状を出さないのか? 結論としては、・・・、いろいろと考えてみたが、結局自分自身を納得させられなかった、ということになるのだろう。毎年、年賀状はクリスマス前になって、あわてて宛名を印刷し、裏面に相手の顔を浮かべて一言。これが精いっぱいである。もう少し余裕をもって作業を進めていれば、いろいろと書きたいことも書けただろう。非常に中途半端で不完全なものを年の始まりに送っていた。これで1年間よろしくというのは心苦しい。この程度のものを数十年間毎年送り続けた。完全に形だけで、心のこもらないものになっていた。

 毎年気になっているがどうにもならなかった。これを変えるきっかけは「定年」という人生の区切りしかないと思っていた。定年してしまえば、毎日が日曜日(いや、土曜日か? 土曜日なら明日も休みということになり、ずーーーーと休みが続く)である。毎日自由に時間の都合をつけることができる。これをきっかけに「素晴らしい年賀状」を作ることを決心した。今までの罪滅ぼしである。では、どのように素晴らしくするか? 年賀状作りは夏ごろから始め、毎日数枚に絵手紙のような風景画や静止画を描き貯めていく。200枚程度出すので、この時期から始めないと間に合わない。

 夏になっても一向に始まらない。いや、始められない。なんとなくすることが多いのである。というより、無理やり忙しくしているようなところもある。計画はいいのであるが実行力のなさがいつもの結果を招く。というわけで、年賀状を書き始めたのは例年通り。内容も例年通り。これにはさすがにがっかりである。毎日日曜日でありながら、何の変化もない年賀状しか出せない。これでは相手にたいしてさらに失礼である。そこで重大決心をした。年賀状の末尾に今年で年賀状を最後にすること、代わりにホームページを始めることを追加した。日々の生活状況や活動、生存確認はこれで行ってもらう旨を伝えた。

 毎週定期的にホームページをアップすることで、今までの不義理を清算しようということである。気になる人は見るし、そうでない人は無視すればいい。何の強制力も持たない。これがネット社会のいいところでもある。年賀状であれば、出していない人からくると、あわてて正月から年賀状を書かなければならない。ネット社会は一方通行であるからありがたい。しかし、使い方を間違えると今の社会のように言いたい放題、中傷したい放題になってしまう。どんな有用なものでも使い方を誤ると恐ろしいものに化けてしまう。

 今まで年賀状で義理を欠いた皆様に深くお詫びいたします。