松ぼっくり

 最近よく山歩きをする。某寺の奥の院が山の中腹にある。自宅からそこまで4kmの散歩である。歩き初めからほとんど上り坂の連続である。高低差は約300m。1時間の行程である。歩き始めてから90回を超え、四季を通じて見てきたことになる。ここの山の松やクヌギの木には枯れたものが多い。クヌギは集団で枯れていることが多い。数十年経ているであろうと思われる太さである。しかし、寿命という感じはしない。何かの病気かもしれない。それに比べると、松はいたるところでぽつりぽつりと枯れている。そしてさらに気になったのは、枯れた松には松ぼっくりが多くついていることである。枯れることを自覚して、その前に多くの松ぼっくりをつけるようなことはないと思うのだが・・・。茶色になった松葉はそのまま枝に付いているものもあれば、落ちて枝だけになっているものもある。そこに黒く開いた松ぼっくりが大量についている。ひょっとすると、松ぼっくりは種を散布した後も落下することなく、数年間木についているのかもしれない。それが枯れた木に多くの松ぼっくりがついていると思わせている原因なのかも知れない。春の陽光に照らされた木々の若葉の中で、なんともしんみりとした光景である。

 松ぼっくりは公園や山歩きをしていると、落ちているのを見かけることがある。それらはすべてかさが開いたものばかりである。松ぼっくりは塗装したり、そのまま使ったりして飾り物になっていることが多いがすべて開いている。閉じたものもいいなと思うのであるがお目にかかることはない。

 ある日の山歩きで、松ぼっくりがしっかりと閉じたものを見かけた。手の届く範囲にあったので数個採取して持ち帰った。ガレージにある作業台に置いて、翌日見るときれいにすべてが開いていた。その開いたかさの間から多くの羽付きの種が出てきた。ほとんどの種が完熟状態で、実がぷっくりと膨らみ硬さも大きさも十分である。さっそく植木鉢に蒔いて発芽を促した。この松ぼっくりは、木に付いているときはかさが閉じていたにもかかわらず、持ち帰るとわずか1日で開いてしまった。松の種というのはそれほど急速に完熟するものなのか? そのことが気になったので、松ぼっくりのことを調べてみた。すると、乾燥させるとかさが開き、湿らせると閉じるということが書かれていた。完全に開いた松ぼっくりを水に浸けてみたところ、わずか1時間でしっかりとかさを閉じてしまった。これは面白い現象である。公園や山歩きをするのは晴れた日で、その時は松ぼっくりは開いた状態になっているのである。それを見ているので、松ぼっくりはみんな開いているものと思っていた。

 松の木から離れて、生命を閉じた後も生まれ持った機能を発揮し続けているのである。なんとも不思議なことである。この機能を知った以上は有効に利用する必要がある。とりあえず、わがアトリエの外壁に飾っておこう。そしていつかこの機能を十分に発揮できる楽しいことを考えよう。

<追記>

先日の種が無事に発芽をした。トゲトゲ葉っぱの松だけに、だれが見てもずばりと言い当てられるような姿で発芽していた。なかなかユニークな姿をしている。しばらく成長の様子を見守っていきたい。その後は生まれ故郷の山へ戻してやろうと思う。

 

<松ぼっくりがいっぱい>

 

<収穫後1時間>

 

<収穫後1日>

 

<ずばり! 松です>