間引き

◇発芽率が悪く、数十個の種を蒔かなければ1本の苗が得られないというのであれば、多くの種を蒔くことは理解できる。しかし、品種や種の保存の仕方による差はあっても、発芽率は70~90%もある。蒔けばほとんどが発芽するのである。そしてその多く発芽したもののほとんどを間引いてしまうのである。

 家庭菜園を始めたころ、不思議でかつもったいないと思ったのはこの「間引き」という行為である。無駄に多くの種をまいて、育ちの悪いものばかりでなくいいものも間引いてしまう。ダイコンやニンジンなどであれば、間引いたものをお浸しやみそ汁の具として食べることができるが、カボチャやスイカではそうはいかない。捨ててしまうしかない。なぜそのようなもったいなく、かわいそうなことをするのかと不思議であった。発芽するだけでもすばらしいことであり、感動的であるのに、それを引き抜いて捨ててしまうのである。

 間引きの必要性を、カボチャを使って確認してみる。ポットに蒔いた種から発芽したカボチャの苗を2株菜園に植えた。1株は成長が著しくいい苗。もう1株はかなりひ弱な感じのものである。植えてから15日目のカボチャを見比べると差は歴然としている。25日目、32日目と差は大きくなる一方である。

<15日目>

 

<25日目>

 

<32日目>

 

◇多くの野菜はポットに種を蒔き、いい苗だけを菜園に植えるようにする。したがって、菜園内での間引きはしない。菜園内で間引きをするような例外がいくつかある。それは根菜類と葉物野菜の一部である。葉物野菜は数多く栽培するので、いちいちポットで発芽させずに、直接菜園に種を蒔く。そして株同士が一定の間隔になるように間引いていく。その際、成長の悪いものを優先的に間引く。根菜類はポット栽培をしない。理由は根を動かさないためである。根菜類の命である根を動かすことで傷つけると、真っすぐないい根が育たなくなるからである。したがって、一定の間隔で確実に発芽させるために、4、5個づつ種を蒔いて、いいものを確実に1本残すようにする。

 これらはすべて、土地の有効利用のためである。もし、蒔いた部分の苗の育ちが悪かったり、枯れてしまったりした場合は、その場所は空白になってしまう。要するにその部分からの収穫がゼロになってしまうのである。趣味でやっている場合にはいくらか救われるが、職業としてやっていれば収入にかかわる問題である。白菜の場合であれば、収穫までに3か月程度を要する。この間に1個の種が、重さで10万倍(種:0.03g、白菜:3kg)に生長する。金額にすると種と収穫物では2千倍(種:0.3円、白菜:600円)の違いが出る。種の金額はたかが知れているので、数個余分に種を蒔いても収穫を優先させる必要があるのである。家庭菜園では直接収入とは関係がないのでいいような気はするが、そうは言っていられない理由がある。

 

◇健全な苗とそうでない苗から収穫したカボチャを比べてみる。これはもう圧倒的な差で、ここまで違いが出るものかと思うくらいである。同じ期間栽培し、同じように肥料を施した結果がこれである。では、これらを調理してみるとどうか? 味が全く違うのである。貧弱な苗から収穫したものはカボチャとしての味がほとんどしない。健全なものから収穫したものは、ふかふかして味も濃厚である。煮物、てんぷら等、何でもおいしくいただける。これだけの違いが生じても、育てる期間は同じである。収穫してまずかったので、再度今から種を蒔こうとしてもそれはできない。種を蒔く時期というのはそれぞれの野菜により一定の期間があり、それを超えては育たない。カボチャであれば、4月下旬から5月上旬に苗を植え付けるというのが一般的である。これより早いと寒さで苗が枯れることがある。遅いとカボチャが熟する時期に寒さが訪れ完熟しなくなってしまう。未熟な苗にいくら肥料を施しても好結果は決して得られない。これはどうしようもない事実である。すべての野菜に旬というものがある。その旬に向けて最高の苗を育て、最高の収穫物を得るというのが理想である。それらは最も栄養価が高く味も最高になる。自然に逆らったり、未熟な苗に過度な手入れをしても決して好結果は生まれない。これを経験すると、間引きという行為を認めざるをえなくなる。菜園を有効利用すると同時に、植物に無駄な努力をさせないということにもなる。

<装飾品としてはいいが・・・>

 

<大満足>