15.挨拶運動

 家庭や会社、ご近所等、人間が生きていくうえで、挨拶は非常に重要だと思っている。家庭では朝は「おはよう」、出かけるときは「XXXへ行ってくるよ」あるいは「ちょっと出かけてくる」などの意思表示が必要である。帰ってくれば「ただいま」である。たったこれだけでも、家族の信頼関係が築かれる。いくら気心が知れて親しいからといっても、この基本行為なくしてはいい関係が築けない。ましてやそれが他人であればなおさらである。職場へやって来て何の挨拶もなく席に着かれると、気分がそがれる。退社時も挨拶なく帰られると、これまた気分が悪い。別に存在をアピールする必要はないが、同じ職場で同じ空気を吸っていれば、お互い気分良く過ごしたいと思うものである。しかし、そのように思わない人が結構いる。やることをやって、結果を出せば文句はないだろう、といったところであろうか。いや、そういった人に限って、結果が伴っていないことが多いような気がする。

 前置きが長くなったが、これから本題に入ることとする。ロードバイクで武庫川サイクリングロードを走っていて感じることであるが、挨拶をする人はまったくといっていいくらいいない。お互い同じ趣味で同じ場所を走っているのであるから、すれ違ったときくらい挨拶をしてもいいように思う。「こんにちは!」と声を掛けられれば決して嫌な気持ちはしないと思う。オリンピックを目指して、限界ギリギリの走りをしているわけではない。そこまで追い込んだ走りには見えない。どう見ても、天気のいい日に気分転換をするために走っている、という感じの人が多い。それならお互いすれ違った時に挨拶を交わせば、もっと気分がよくなると思うのだが・・・。こちらから挨拶をすると反応は3種類ある。一つ目は、待ってましたと言わんばかりに、「こんにちは」が返ってくる場合。これは言った方も気分がいい。二つ目は、きょとんとして、「今、何か聞こえたかな?」「何か話しかけられたかな?」といった感じで、不思議そうな顔をして走り去る人。最後は、まったく無視、何事もなかったかのように走り去る場合である。最近、徐々にではあるが、挨拶が返ってくることが多くなった。それでも東京(多摩川サイクリングロード)に比べると数は少ない。

 人間というのは一人で生きているわけではない。必ずどこかで誰かと接している。それだけに自分の言動や行動に対しては注意が必要である。何かを言う、何かをすることだけが相手を傷つけるのではない。何も言わない、何もしないことでも相手を傷つけることもある。挨拶運動を続けて20年以上になるが、なかなか広まっていかない。ひょっとすると、挨拶すること自体が相手を傷つけているのかもしれない。「天気のいい日に、自分ひとりの世界に入り込んで、日々募るストレスを発散しているのに余計な声を掛けるな!」ということか? 体育会系のスポーツも、なんだか繊細なスポーツに様変わりしているのかもしれない。

 しかし、余計なことは考えず、声を掛け続けよう。顔もわからないほど一瞬のすれ違いであっても、これも何かの縁である。顔を合わせた以上は挨拶をすることで、相手への敬意とお互いの健闘をたたえたい。