ちょっと一服

 忙しいときこそ、心の落ち着く行為をしたいものである。私の場合は日本茶である。抹茶でも玉露、煎茶、ほうじ茶、番茶でもいい。おいしいお茶を気に入った器に入れて飲むとき、ほっこりと心が和む。お茶を飲んでいる時間は、それほど長い時間ではない。それが温かい間だけのものである。器によっては、長期間使うことで器の色に変化を見せるものもある。代表的なものは萩焼である。また、使用前に濡らすことでしっとりとした色に変化するものもある。こちらの代表的なものは備前焼である。お茶のうま味を引き出すのも器の重要な役割である。この部分はあくまでも精神的なうま味を主にしている。味覚的なうま味ではない。理由は、使っている器の多くが土もの(陶器)であるため、器そのものの色が濃く、お茶の色がわからないからである。本当においしいお茶を飲もうと思えば、やはり器は真っ白な磁器であろう。これなら、お茶の色がはっきりとわかり、本当のうま味を味わうことができる。わかっていながら、ほとんど磁器を使わないのは、味気ないからである。真っ白な器に絵が描かれ、それなりに芸術性はあるのだが、温かみを感じない。使い込むことによる愛着がわいてこない。保有する器のほとんどは陶芸家個人の作品である。土ものは形や釉薬を加減し独創的なものができる。これに比べて、石もの(磁器)は最終の絵付けのみを作家が行う。したがって、土ものの方が、作品に作家の個性がよく表れる。それが温かみを感じる大きな原因かもしれない。お茶を飲むという行為を利用して、実は器を楽しんでいるのである。したがって、器に集中できないような品質のお茶はよくない。