41.連休

  ゴールデンウイークだ、10連休だのと、世間は大騒ぎである。確かに働くよりは休みがいい。しかし、休んでばかりでは生活がままならぬ。というわけでいやいや働くわけであるから、やっぱり休みは嬉しいものである。ところで生活の問題が解決すればどうだろうか。つまり、定年退職し、年金生活者になった場合である。いろいろと話を聞き、身近な人を見てきたが、どうも時間を持て余している人が多いように思う。定年後しばらくは楽しそうなのであるが、すぐに1日が長くて退屈そうなのである。そこで始めるのが散歩である。しかし、毎日8時間も散歩をすることはできない。せいぜい1時間程度であろう。これでは何もやらなかったときと大差がない。ちょっとは健康的な気分になるが、やはり1日が長い。そこで次にとる行動がスポーツクラブである。ここでマシンを使ったり、ほとんど意味のない筋トレをして時間をつぶす。そして、風呂とサウナに入りどうにか午前中をクリアする。しかし、まだ長ーい午後が残っている。家に帰りごろごろしていたのでは奥さんに文句を言われる。しぶしぶ出かけようとするが金がない。金を使わない図書館が高年者であふれている理由がよくわかる。これでどうにか1日8時間は消費できるが、やりがい、生きがいといったものが感じられない。どうしても世間とかかわりを持ちたいという気が起きてくる。そこで始めるのがボランティアである。これで社会的にも役に立っているという実感がわいてくるのであろう。しかし、月に数回では物足りなくなってくる。

  世の中は何が起きるか全く予想がつかない。人生はどこでどうなるかわからない。受験、就職、結婚、子育て、倒産、解雇、事故、病気等、いいこともあれば悪いこともあるが、誰も確信は持てない。しかし、そんな不確定なものばかりの中で確実に年月日までわかる大事件がある。それが定年(個人事業主は別だが・・・)である。能力、体力、気力がまだ十分であっても、そんなものは全く関係がない。本人は元気なので、別の世界で十分やれるつもりでいるのだろう。しかし、まだまだ十分やれる世界は、現役時代から3、4ランク落とした場所での話である。そこでやるほどプライドは落とせないだろう。それが現実なのである。誰にでも確実にやってくるにもかかわらず、その大事件に対する対策を講じていない人が多すぎる。定年後10年生きれば、3,650連休、20年生きれば7,300連休、30年生きれば10,950連休である。わずか3連休でも予定を立てて旅行をするにもかかわらず、この長期休暇をどう過ごすかの予定もなく迎えるとは・・・。

 毎日何も考えず、何もしないことが最高の喜びである、というような人は別格であるが、そんな人はほんのわずかであろう。暇を持て余すことほど苦しいことはない。自由がどれほど苦痛なものかを知らない人が多すぎる。よく退職したら「ゴルフ、旅行を思う存分にやりたい」という話を聞くが、毎日ゴルフを8時間するわけではない。よくやって週に1、2回であろう。旅行はどうか、年間350日も旅行はできないだろう。せいぜい月に1、2回で計5泊程度だろう。これでもかなり裕福な老後を想定しての話である。では残りの日は何をして過ごすつもりであろうか。

  定年後というのは、毎日10時間(現役時代の勤務時間8時間+通勤時間2時間)を苦痛なく過ごせる趣味をもつことなのである。これができるかどうかが、楽しい老後を過ごせるかどうかの分かれ目となる。現役時代に趣味のなかった人は、確実に老後も無趣味である。趣味というのは作ろうとして作れるものではない。いくら忙しくてもやりたくてしょうがないのが趣味である。時間があるからできるのは趣味ではない。単なる暇つぶしである。暇つぶしで乗り切れるほど老後は甘くない。現役時代はカレンダーが連休を決めていたが、老後は死ぬまで連休である。そして、その長さは誰にも分らない。

 平均寿命は延びる一方である。それに伴って最近では健康寿命という言葉がよく取り上げられている。しかし、それ以上に重要なことがあるように思う。それは生きがい寿命である。