イチゴの種

(その1)

 イチゴの表面には小さな黒い種がびっしりと並んでいる。つるりとした真っ赤な実ではなく、表面にある粒々がイチゴをより一層おいしそうに見せている。ラズベリーやブラックベリーのように種が味を左右することはほとんどない。軽く歯に当たる程度でそれほど気にはならない。ブルーベリーなどと同様にギリギリ許せる存在の種である。とはいえ、ないに越したことはないのであるが・・・。

 イチゴは実がつく頃から、株の中心部よりランナーといわれるツルのようなものを延ばし始める。イチゴの種類にもよるが、数十センチになり、そこに小さなイチゴの苗を適当な間隔をあけて数株つける。その株元を土に固定しておくと、根が出てきて親株のクローンとして成長する。その子苗が十分に独立して、自力で成長できるようになると、親株から切り離して独立させる。元気な親株であれば、ランナーを7、8本伸ばしそれぞれに4、5株の子苗をつける。カルガモ以上に子だくさんなのである。とはいえ、他の植物のように種で繁殖させれば、もっと多くの苗をとることができるだろう。何よりも手っ取り早いのがいい。もし菜園内に自生させれば、菜園内がイチゴで埋まってしまうかもしれない。ひょっとすると雑草以上に繁殖力があるように思われる。ここまではランナーによる繁殖である。

<無数の種>

 

<ランナー>

 

(その2)

 意外と忘れられがちなのがその表面にびっしりと存在する種である。イチゴはランナーによる育苗だと、数か月で多くの子苗ができ、しかも親のクローンということで全く同じ品質のものが得られる。量と品質を保証されているのでこれに勝るものはない。この方法の欠点は品質の改良ができないということである。品質を改良しようと思えばいろいろな種類の苗と交配させた種を育てるしかない。ということは、この種を蒔けばイチゴの苗が発芽するのである。果たしてそのように旨く発芽するのだろうか? 「イチゴの種を蒔いた」という話は聞いたことがない。あんなにも多くの種があるにもかかわらず、なぜ種を蒔かないのだろうか。これには何か理由があるのだろう。理由があればそれを確認し納得しないと気が済まない、ということで種を蒔いてみた。完熟して実が黒くなりしなびてきたものから種を取り出した。植物にはすべてタネを蒔く時期というものがあるのだが、それはこの際無視してポットに蒔いてみた。

 ポットに雑草が生えだしたので、あきらめムードで棚の片隅に放置していた。5月になると、徐々に雑草らしきものが大きくなってきた。よく見ると、葉の形がイチゴに似ている。ひょっとするとこれらはすべてイチゴの苗かもしれないと思えるようになってきた。これらを小分けしてそれぞれポットに植えなおした。ここからじっくりと観察してみることにする。

<大小あるがまぎれもなくイチゴの苗>

 

(その3)

 イチゴの苗も順調に育っているように見えたが、最近の暑さと例年になく長雨が続いたことで枯れるものが出た。直射日光を避けるために遮光ネットで覆っているが、外気温は相当な温度になっている。毎年のことではあるが、ポットに採った苗の2~3割は枯れてしまう。さらに追い打ちをかけるように炭疽病が広まった。葉に黒い斑点ができ、最終的には葉が枯れ、株全体が枯れてしまう。夏の暑い日に露地栽培で雨が当たると、土中のウイルスや菌が跳ね返り葉にあたることで感染するらしい。これはもう、殺菌剤を使用して炭疽病を克服するしか手がない。このままでは全滅しかねない。早速、ホームセンターで炭疽病に効力を発揮する殺菌剤を購入した。10年近くになる家庭菜園で初めて使用する農薬である。注意書きをよく読み、指定された濃度に調整し使用した。殺菌剤の効果もあり、どうにか元気に苗が育っている。

 同じ種から育った苗でもそれぞれ個性を発揮している。小さくひ弱な苗、もう一人前のような顔をして、ランナーを伸ばして子苗を作ろうとしている苗。すべてがこの暑さに苦戦していると思われるが、それぞれが我が道を行っているように見える。親株から採った子苗に比べるとまだひ弱さは残っているが、その差は縮まってきた。

<追記>雨のしずくが落下したとき、水滴は相当な高さまで跳ね返る。葉の裏側はもちろんのこと、プランターのふちにまで土を巻き込んで跳ね上がっている。これでは葉の裏側にある気孔は雑菌まみれになってしまう。

<5本の苗を育成中>

 

<5cmくらいは跳ね上がっている>

 

<葉の裏にも土が・・>

 

(その4)

 秋から冬にかけてイチゴの苗は順調に育っている。寒さが厳しい時期になると、すべての苗はロゼット状態になり土に張り付いたような状態で休眠しているように見える。しかし、このような時期に花を咲かせるふとどきな株が多々見受けられる。種から育てた株だけでなく苗を取ったものも同様である。なぜ今の時期に花を咲かせるのか不思議である。この時期に花を咲かせても実ができないので早めに取り除いている。葉の陰で気が付かなかったものは可憐できれいな白い花を咲かせている。1、2月にこのような状態になると、春本番に向けて無駄な労力を使いすぎるので極力花を咲かせないようにしている。このパワーを何とか春まで維持してもらいたいものである。どう見ても休眠とは思えないので、春に向けての寒肥をやって元気づけることにした。肥料としては米ぬかを使用した。理由はいろいろあるが、なんといっても肥料としての成分が素晴らしい。3大要素である、窒素、リン酸、カリがバランスよく含まれている。それに加えてありがたいことに無料で手に入るからである。米屋さんにとって、米ぬかは産業廃棄物なのである。お金を払って処理してもらっているので、持って帰ってもらえればタダでもありがたいのである。

 しかし、これを使用するにあたり、一つだけ注意が必要となる。プランターで育てているイチゴにこれを撒き表面を土と混ぜ合わせると、土の色が黒から黄土色になる。じっくりと見ると砂のように見える。これを見たスズメが砂浴びをするのである。かなり激しい砂浴びである。プランターの土に穴が開き、多くがプランター外へ落ちる。なんとももったいない事件が起こるのである。今のところこれに対応する手立てはない。

 

(その5)

 4月になり、花が咲くころになると種から育てた株と苗からのものは全く見分けがつかなくなった。株の大きさや花の咲き具合では区別がつかない。どちらも十分に満足のできるイチゴの株である。では、全く同じものかというとそうではない。苗から育てたものは、その母親である株のクローンであり、母親と全く同一のものである。しかし、種から育てたものは、同種のイチゴではあるが花粉の出所がどこかわからない。多くの株が同一場所で育てられていたので、それらの中のどれか? ということになる。したがって、母親の血は引くがクローンではない。前者は味も形も母親譲りとなるが、後者は父親のいいところや悪いところが同居することになる。いいほうが出れば改良ということになるし、悪いほうが出れば廃棄ということになり、苗を取ることはなくなってしまう。現在多くの品種のイチゴが世に出回っている。いろいろな品種同士を掛け合わせ、改良されていいものだけが残ってきた。かつて見たイチゴの品種改良では、臭くて食べられなかったものや、ものすごくまずいものができた例が出ていた。見た目にはきれいなイチゴでも、掛け合わせで全く違ったものができることがあるらしい。品種改良とは、思ったほど簡単な作業ではないらしい。

 イチゴも見た目ではなく、食べてみての判断ということになる。何事も見た目にごまかされないようにしなければ・・・・。さて、我が家の種から育てたイチゴの味は? 1か月後が楽しみである。

<左が種から育てたイチゴ>

 

<その6>

 ようやく実が赤くなりだした。徐々に赤味と大きさを増してきた。見た目には全く同じものである。当然といえば当然なのかもしれない。同じ品種のイチゴ同であるから、大きく変わったものができることはない。ただ、通常のイチゴのように、親のコピーではないというだけである。

 さて、色もいい色になってきたので収穫である。そして、ドキドキしながらの味見である。食べてみて、ドキドキしたのがウソのように、全く普通であった。普通においしいし、違いは探そうとしても探せなかった。客観的なデータとして糖度を測定した。どちらも14~15度であった。

 ではどうして種から育てないのか? ランナーから採った苗も、種から育てた苗も、同時期に実が付く。育成期間は同じである。しかし、全く違うことが1点ある。それは苗の歩留まりである。ランナーから出た苗は、その時点でほとんど善し悪しの区別がつく。中には成長途中で枯れるものもあるが、ほとんどが春には花を咲かせる。ところが、種から育てた苗は、育成途中で成長不良を起こしたり、枯れるものが出た。その数が、ランナーから採った苗よりもかなり多かった。一般的に行なわれている方法というのは、長年の経験に基づく理にかなった方法なのである、ということをひしひしと感じた。

 毎年行っている家庭菜園であるが、これらを積み重ねることで我が家流というようなものを作り上げたいものである。いずれそれが世間の常識となり、一般化すればうれしい限りである。

<左が種から育てたイチゴ>