その30

<30-1>みっともないお金の使い方(川北義則)
 
イギリスの作家サマセット・モームに、次のような言葉がある。「十分な金がなければ、人生の可能性の半分は締め出されてしまう」そうなのだ。お金で買えるのは人生の半分である。
 
<30-2>もっとしっかり、日本人(永六輔)
 
東京湾沿岸だけで、なんと、日本の6人に1人が暮らしている。もうこれは「過密」以外のなにものでもありません。
 
<30-3>不味い!(小泉武夫)
 
カラスの肉の匂い、いったい何に似ているかなどと考える必要は全くなかった。口にしてすぐにその匂いの酷似物が頭に閃いたからだ。即ちそれは仏壇やお墓に供える線香である。
 
<30-4>もう、この国は捨て置け!(呉善花・石平)
 
日本の曖昧な中間色は韓国人にとって物足りないんです。これが不思議と、東南アジア、南アジアも韓国的な美意識のほうが合う。サムスンのテレビが受けるのはそこなんです。たとえば、インド人もくっきりしたカラーが好みで、カラーテレビは韓国製が売れる。日本人は淡い色を出そうとするから、現地の好みに合わせるために、日本の企業がインド向けに工夫はするのだけれども、かなり工夫しないとわかりにくい。その点、韓国企業の場合は、韓国の感覚のままで東南アジアに受け入れられる。
 
<30-5>ダライ・ラマ「語る」(相馬勝)
 
自分が過去に何をしてきたかを知りたければ、あなた自身を見なさい。将来あなたにどのようなことが起こるか知りたければ、あなたの心を見なさい。
 
<30-6>味と香りの話(栗原堅三)
 
女王フェロモンの存在が、はたらきバチをこのような苦役に駆り立てるのである。もし、十分な女王フェロモンがゆきわたらないと、なたらきバチはとたんに怠けて職場放棄してしまう。女王フェロモンの第2の役割は、新しい女王バチがあらわれないように、はたらきバチの卵巣のはたらきを抑制し、卵を産まないようにすることにある。事実、女王バチが巣からいなくなると、女王フェロモンの支配がなくなるので、はたらきバチの卵巣が発達し産卵が開始される。
 
<30-7>ラーメンの真髄(石神秀幸)
 
個人的にラーメンのレベルが高いと思っている県---それが新潟です。
 
<30-8>考(中馬清福)
 
玉砕は中国の古典にある言葉で、「玉となって砕ける」。そこから名誉の死を意味するようになる。
 
<30-9>匂い立つ美味(勝見洋一)
 
雉がどさりと落ちた。その場所から絶対に動かさない。これがクラシックな雉料理の重要な第一歩。それに野鳥はすぐに食べてはいけないという。まだ肉は固いし味はない。やはりすべてのジビエにはそれにあった「食べごろ」というものがある。さてドスント落ちた雉の下は落ち葉のベッド。雨が降っても雪が降っても、なにがなんでも最低でも一週間。
 
<30-10>魯山人の美食(山田和)
 
砂糖の乱用が、各々持つところの異なった「味」を破壊し、本質を滅茶苦茶にしている如き、それである。砂糖さえ入れればうまいとする今の料理は、極端に味覚の低下を示している。江戸時代は砂糖が高価で、江戸ではステイタスなものになっていた。それで無理をしてでも砂糖を多用する文化が江戸で生まれ、その結果、今でも東京の玉子巻きは甘いのだそうである。魯山人は東京の味は概して野暮で、田舎料理だという意味のことを言っている。
 
<30-11>「不正」は急に止まられい(中島茂)
 
記録がないということは、管理が杜撰であるか、何かを隠しているのかのどちらかしかありません。
 
<30-12>おやじのおやつ(田沢竜次)
 
和菓子の老舗「梅花亭」によれば、明治初期、「梅花亭」3代目ご主人が、銅鐸の形をヒントにオリジナル菓子を考案、どら焼きと名づけたと言う。
 
<30-13>偶然とは何か(竹内啓)
 
偶然とは「無知」から生じるものという考え方からすれば、それを数量的に表現するものは主観確立にほかならないであろう。
 
<30-14>品質力の磨き方(長谷部光雄)
 
リコールの増加自体は決して悪いことではない。本来のリコールの意義とは、供給者側が積極的に情報公開をして、事故などの社会的損失を未然に防ごうとしている活動である。
 
<30-15>2011年、メディア再編(西正)
 
魅力的なコンテンツをできるだけ頻度を高く更新するようにすれば、間違いなくアクセス数は上がっていく。すなわち、リピーターを失望させるないということが大事なのであって、リピーターを失望させてしまったら、そのポータルサービスの存在感は薄まっていくだろう。旬のコンテンツを次々と更新していく努力をするしかない。
 
<30-16>ゴミ分別の異常な世界(杉本裕明、服部美佐子)
 
温暖化の原因になっている二酸化炭素を減らすために、環境省は毎年約27億円の税金を広告会社の博報堂に払って、「チーム・マイナス6%」という広告・宣伝活動を行なってきたことだ。経済産業省に、「産業界は努力して二酸化炭素を減らしているのに、家庭からの排出量は大幅に増えている。何とかしろ」とせまられ、博報堂に委託した。会社の中に事務局が作られ、広告マンたちが、潤沢な予算を使って、「クールビズ」「ウォームビズ」なんて言葉を編み出した。新聞やテレビで広告し、イベントは、環境省の幹部が天下りした財団法人などが請ける。さらに、その下請けは、全国に散らばるNPO法人だ。こんな広報・宣伝活動を、環境省は「国民運動」と呼んでいる。
 
<30-17>社長の値打ち(長田貴仁)
 
ゼネラルマネジメントを司る究極のゼネラリストの能力を2つ。それは、戦略を効果的かつ効率よく実行するため、よい結果を出せる組織を構築する「組織構築力」と、組織の長や社員全員の心を1つにする「統率力」である。社長はこれを最大限い発揮しなくてはならない。
 
<30-18>精子の話(毛利秀雄)
 
人を含む哺乳類の雄、雌も完全に2つに分かれているとは言いがたいところがあります。ヤギでは雄、雌の他にどちらともつかない間性のものが相当数生じます。
 
<30-19>阿呆の知恵(ひろさちや)
 
動脈硬化症、高血圧症、悪性腫瘍、糖尿病、肺気腫などの病気は、基本的には完全治療のできない病気であって、かつては成人病と呼ばれていました。ところが、成人病といった呼称だと、年を取るとだれもがかかる病気だとあきらめてしまって、病気にならない努力もせず、また医者の門をたたいてくれません。それでは医者が困るので「病気になったのは、あなたの生活習慣が悪いからだ。あなたの自己責任ですよ」と思わせるために、「成人病」を「生活習慣病」にしてしまったのです。けれども、生活習慣病は、治らない病気です。そのことは、私との対談で、医師の中村仁一氏が断言しておられます。
 
<30-20>ウチのシステムはなぜ使えない(岡嶋裕史)
 
学部の学生が覚えることは問題解決の方法、修士課程の学生が学ぶことは問題解決の方法を創り出すこと、博士課程の学生が研究することは問題を見つけること、といわれるが、問題を的確に見つけてまとめるのは難易度の高い作業である。
 
<30-21>私なら絶対買わない投資信託(松本弘樹)
 
相場というのは、誰もが買いたいと思うとき、あるいは買いたいと思うものが買えないとき、終焉を迎えるものだ。
 
<30-22>森の力 食物生態学者の理論と実践(宮脇昭)
 
実際に現在の日本の森林の「量」は江戸期以降で最も豊かです。しかし、一方で、その大部分は、土地本来の緑、つまり潜在自然植生からははるかにかけ離れたものになっているのです。現存植生のほとんどすべてが、様々な人間活動の影響によって変えられた「代償植生」であり、「置き換え群落」なのです。
 
<30-23>今のピアノでショパンは弾けない(髙木裕)
 
言い方が悪いかもしれませんが、ピアニストという職業の人たちは、自分で弾く楽器を他人に買わせ、他人に調律してもらって、そのうえ文句を言う特殊な存在です。ピアノ以外の楽器のほとんどは自己所有(ヴァイオリンやチェロのような金額が億単位の楽器は財団や企業のようなところから貸与されていることもありますが)、自分の使っている楽器の悪口はほとんど聞いたことがありません。
 
<30-24>親子就活(中村昭典)
 
「東証一部上場」といえば、それこそ日本を代表する、典型的な大企業の代名詞みたいなものだ。その企業だけに限定しても、学生が知っている会社は3割程度しかないのだ。東証一部上場企業の7割は、学生に「聞いたこともない」といわれているのだ。
 
<30-25>超バカの壁(養老孟司)
 
根本的に日本語というのは、読みが中心の言語だと私は考えています。脳の働きからみればそれは明らかです。日本人の脳は仮名読み部分と漢字読み部分を別々に持っています。読む際に他の多くの国の人の2倍、脳を使っています。基本的に「読み書きそろばん」というのもそこに起因しています。西洋語のように弁論術に重きを置いていない。日本人にとってはもともとそういう口に出す言語よりも、文字言語の重要性が非常に高いのです。ですから活字文化が日本から消えることはありえないと思います。その点においてはあまり心配しなくてもいい。