92.高齢化社会

 いつのころからか定かではないが、電車の車内アナウンスが気になってしょうがない。音量が大きすぎるのである。昔の車両のように、天井のここにスピーカーがあります、といった形で確認することはできない。照明器具の一部にこっそりと取り付けられているので、その姿を確認することができない。いきなり、大音量でアナウンスが始まる。それはもう、びっくりするぐらい大きな音である。もし、スピーカーの位置が確認できれば、その真下を避けることができるのであるが、現状ではこれができない。したがって、突然、大音量が頭上から降り注がれる。慌てて場所を移動しようとするが、どこへ逃げていいかわからない。多くの乗客は、まったく何事もなかったようにスマホをいじっている。スマホに没頭することで、車内アナウンスが聞こえていないのか。音量の大きい車掌に限って、危険物の持ち込みや車内環境維持の協力をしゃべり続ける。毎回思うことであるが、車内で危険物を見つけたときは触らず車掌や駅員に連絡するように伝える必要があるのだろうか。お年寄り、体の不自由な人に席を譲る必要をアナウンスする必要があるのだろうか。確かに目の不自由な方も乗っておられるので、駅に着く直前に駅名をお知らせするアナウンスは必要である。必要ではあるが大音量は不要である。これに対して必要と思われる、急ブレーキがかかった場合や急停止した場合のアナウンスに関しては「さすが」と思えるような車内アナウンスに出会わない。車掌という職種には乗客に対するサービスよりも、安全に関する気遣いをしてもらいたい。

 最近、私鉄では女性の車掌が多い。大音量でかつ甲高い声を出されたのではたまったものではない(決して女性を蔑視しているのではなく、男女の生理的な違いを表現しているのである)。ジャズ喫茶(今でもあるのかな?)でピアノ演奏を聴いているようなものである。頭に針を刺されたような刺激を受ける。しゃべっている当人には全く気にする様子は見られない。車両後方の車掌室の窓をきっちりと閉めている。したがって、車両内の大音声はかなり軽減されているものと思われる。この大音量がたまたまというのではない。ほとんどの営業区間でそうである。これはもう、会社の方針として音量を上げているとしか思えない。車内アナウンスをしている当人も、ひょっとすると大きな音だなと思っているのかも知れない。社の方針であるから、それに従わざるを得ないといったところか。おそらく、駅名のアナウンスの声が小さいという苦情が多くあったのであろう。高齢化社会の弊害か? 音量を上げるのは急場しのぎとしてはいいが、これを解決策としてもらっては困る。根本的な解決策を講じるまでのつなぎとしてやっているのであれば理解もできる。

 かつて、若者が車内でウオークマンを大音量で聞いていたのを思い出す。隣にいると、音が漏れて「チャカチャカ、テケテケ」とうるさくて困ったものである。今ではこちらが、大音量の車内アナウンスを避けるためにスマホで音楽を聴いている。ただし、「チャカチャカ、テケテケ」と外部に音は漏らしていない。音楽を聴くことが目的ではなく、ほとんど耳栓の代用として利用している。