101.バカ舌
バカ舌という字を見て何を感じるだろうか? 食通、グルメを自認している人が、実は味の違いが判らなかった、というようなことになるのだろうか。味覚というのは、生まれ育った環境に大きく影響を受けるものだろうと思う。他人がどう思おうとも、自分にとって最高の味覚というものがある。これはだれにも否定することはできない。個人的なことに関してはそれでいいと思う。しかし、一般的によく言われているものに「目一代、耳二代、食三代」(「目を財」「耳を衣」としているものもある)という言葉がある。食べることを極めるのはそうそう簡単なことではない。
このような重みのある言葉があるにもかかわらず、軽々に食を論じるつもりはない。あくまでも個人的なことに関しての話である。まず最初に「味覚」に関してである。ある特定の物の味が数十年にわたって同一に感じるかどうか、という問題である。時代とともに変化しないものを例として挙げると、ナッツ類(アーモンドやカシューナッツ)である。若干の改良はされているかもしれないが、おいしい方向に変化しているものと思われる。それらナッツ類の味がかつて食べたようなおいしさにないのである。なんとなく味が薄くなっているように感じるのである。嗜好に変化が出たとは感じられないので、これは明らかに舌が劣化してきたのであろう。つまり“バカ舌”になってきたのである。おそらくすべてのものに対してそうなっているものと思われる。
続いては、接触としての感覚である。口に物が入ったにも関わらず、それを感知できないといったような大げさなものではない。通常の食事や飲み物に関しては、全く違和感なく行えている。ところが、ある年の夏にそれが発覚した。非常に暑い夏であった。連日35℃前後という日が続いた。わが家庭菜園では、すべての野菜がぐったりとする中、オクラとスイカが異常に元気であった。当然収穫量も満足のいくものであった。小玉スイカは苗を2本植えたが、例年になく多くの実を付けた。全部で14個。いくら小玉スイカといえども14個は多い。家族はほとんど食べないのでほぼすべてを一人で食べた。ここでその問題が発覚した。がぶりと食べたスイカの種を出そうと思うのであるが、口の中のどこにあるのかがわからない。3、4個の種が見えているのを確認して口に入れたにもかかわらず、1個として舌にあたらない。どこにあるのか? 口の中を舌で探るがなかなか見つからない。そうこうするうちにガリっとやってしまう。そこにあったのかいっ! 又かいっ! の繰り返しである。若かりし頃なら、右の隅に1個、左の上に1個・・・と、すぐに種の所在が分かったものである。それらを次々と吐き出せばよかった。今ではそうはいかない。スイカを食べるのに時間を要するようになってしまった。その分美味しさも変化したように感じる。
年とともにすべてのものが劣化してくるように感じる。しかし、それらを維持向上させるような取説を見たことがない。すべての人が加齢という避けられないものを経験する中で対応策が見出されていないことに疑問を感じる。まず手始めに、バカ舌をちょっと感度のいい、違いの分かる舌に改造しようと思う。