115.大型TV
それほど頻繁にテレビを見るほうではない。朝夕の食事時にニュースを見る程度である。新聞と違って、映像が入ることに価値があると思っている。それだけに事故や火災、台風などは新聞では得られない迫力を感じる。決してそれ自体がいいというわけではなく、生々しさや注意喚起ができるという意味でいいということである。
年に6回、そんな食事時のニュースを2週間にわたり遮られることが発生する。相撲中継である。17時から食事を始めるので、食事中ずー――と相撲中継を見ることになる。しかも、ほとんど同じ力士である。力士の順位がその時間帯に合致する。千秋楽が近づき、優勝争いをする力士が下位であるとたまに見ることができる。順当に優勝争いをしている時は、上位番付同士の相撲を見ることになる。そういった意味では、すべてをみなくても星取表の上位の関取は大体わかるようになる。
ここまでは例年通りの内容であるが、今年は違った意味で相撲が盛り上がった。大型TVを買ったのである。わが家の狭い居間の壁際ぎりぎりにどーーんと設置した。大迫力である。今まで気にすることのなかった観客の顔がはっきりとわかる。国技館で行われる秋場所では多くの芸能人が映っていた。相撲を見る楽しさよりも、芸能人を探す方に目が行きだした。「へぇー、この芸能人は相撲に関心があるんだ!」「けっこうはしゃいでいるな」「関係者からの接待か?」などと余計な詮索をしてしまう。朝、関西の生番組で見かけた芸能人が夕方国技館で相撲を見ている、というプライベートな個人情報までわかってしまう。次に行われた九州場所でも観客が主役になった。初日は気が付かなかったが、2、3日目だったと思うが、和服のご婦人が目に入った。国技館でもそうであるが、九州場所でも同様であった。いろんなスポーツ観戦があるが、これほど和服姿の男女が多いスポーツを知らない。和服姿はよく目立つ。毎日同じ場所にいるのでさらに目立つ。テレビをつけるとまたもそのご婦人が映っている。昨日とは違った和服を着ている。翌日も、そのまた翌日も映っている。もちろん着物は変わっている。こうなってくると、相撲の方が背景のようになってくる。さて今日はどんな色の着物で座っているのか? が興味の的になる。結局千秋楽までず―――と、同じ場所で観戦し続けておられた。2週間である(確認できなかった初日からの数日間も含めて)。
そのときは連続観戦日数のみが気になっていたが、しばらくして庶民的な疑問がわき出してきた。あの場所っていくらくらいするのかな? 早速検索である。調べてみると「溜席(たまりせき)」ということが分かった。それ以上は・・・。
テレビが変わると見方が変わる。見方が変わると考えが変わる。考えが変わるとむなしくなる? やはりテレビで見るのはニュースに限る。