6.味覚
味覚を表現するのは非常に難しい。おいしいものを食べたときに、それを食べたことのない人にわかってもらおうとすると相当な表現力を要する。たとえ表現したとしても、自分と同じ味を想像できているかどうかとなると怪しいものである。そのような理由で、味を聞かれたときは「おいしい」「それほどでもない」「まずい」の3種類程度で表現するようにしている。それ以上の説明は無駄なように思う。食べ方についても感じるところがある。同じものを食べているにもかかわらず、おいしそうに食べる人とそうでない人がいる。おいしそうに食べる人は非常に得だと思う。一緒に食べていても、こちらまでうれしくなってくる。味を言葉で表現できなくても、おいしそうに食べることは可能かもしれない。明るく健康的に食べれば、間違いなくおいしそうに見えるのではないだろうか。
テレビを見ていて気になるのは、なにを食べても「甘い」、「柔らかい」で片づけてしまうことである。全く味が伝わってこない。暗黙の了解事項として、「甘い」、「柔らかい」が「おいしい」と同一語になっている。それならはっきりと「おいしい」といった方がわかりやすい。「甘い」=「おいしい」の表現でひどいものになると、塩をなめて「ほのかに甘みがありますね」となる。ほかに表現の仕方がありそうなものであるが、甘さとは全く縁のないものまで甘さで表現しようとする。「柔らかい」も同じように使われる。
このような表現がどのような食材にも使われるということは、それだけ日本人が甘み、柔らかさに過敏になっている表れではないだろか。味覚には甘味、以外に塩味、酸味、苦味、渋味、辛味、等(最近ではうま味も入るらしい)があるのであるが、これらは今の日本人にはあまり歓迎されていない傾向にあるのではないだろうか。単に表現力の欠如であればよいのであるが、味覚の欠如であるように思われる。甘さに関してのみ異常な反応を示すのが今の日本人である。本来塩辛いはずの漬物や佃煮まで砂糖が入って、甘ったるいものに変化してしまっている。とてもお茶漬けのお供にはなりえない。では、何でもかんでも甘ければいいのかというと、ケーキやまんじゅうなどは甘すぎると嫌われ、「上品な甘さ」というものが好まれる。つまり、すべてのものがほんのりと甘いのがいいのである。生まれて間もない赤ん坊が受け入れるのは甘味だけである。その他はすべて受け入れない。これからすると、日本人の味覚は赤ん坊のままということになる。また、柔らかさについても同じである。堅いものは悪いもの、柔らかいものはいいもの、といった分類である。牛肉はその代表であろう。これほど柔らかい牛肉を食べるのは日本人だけかもしれない。世界一硬い食材といわれる鰹節を食べる日本人として、もう一度大人としての味覚を見直す必要がある。
苦味、渋味や辛味についても、今後は大切な味覚として評価をしていかなければいけない。テレビの影響で甘味、柔らかさが主流になっているが、食品が持っている「おいしさ」というものはもっと複雑なものである。おいしさの表現方法が確立されていない現状では、ただ、ひたすら「おいしい」を連発しながら、おいしそうに食べるしか方法がないのかもしれないが・・・。科学的な検証はされているのだろうが、人間の感覚には数値化が難しいのもがある。味覚に関しては、永遠に数値化せずにそっとしておいてほしいという思いがある。個人的には最高においしかったものが、数値化されたために「並の上」、ということになると悲しい。単なる大食漢、味音痴となってしまうのである。食べることに貪欲であるだけに大変にショックである。