9.テレビ
最近時間に余裕ができるようになったので、ちょくちょく民放を見るようになった。しかし、どうもすっきりとしない。内容もさることながら、見せ方が気に入らない。なんだかバカにされているような気がしてならない。クイズ番組やトークショーなどでかなり盛り上がってきて、さていよいよこれから核心、というところまで来るとコマーシャルになる。これは何なんだ。ここまで話を盛り上げておきながらこの水を差すような流れは・・・。結果を見たければコマーシャルが終わるまで待っていろ、ということなのか? 番組を見てもらいたいのか、それとも番組を見せてやっているという感覚なのか? なんだか似たような光景を見たことがあるような気がするが・・・。あっ、そうか!! 犬のしつけである。「待て!」「おすわり!」 うまくできると、「よしっ!」と、ご褒美におやつがもらえる。これと同じではないか。「待て!」「コマーシャルを見ろ!」「よくできました。では、続きを見せてやろう」 これがどれほどのものかということを考えてもらいたい。真冬に露天風呂へ入いろうと、タオル1枚を腰に巻き付けて出て行ったところ、清掃中で入れない。2、3時間で湯が入りますのでここでお待ちください、と言われるぐらいのガッカリ度である。こんなところで待つわけがない。これなら内湯にゆったりとつかろうということになるだろう。このような考え方をしているので、リアルタイムで番組を最後まで通して見たことがない。コマーシャルになったとたんに、別の番組へチャンネルが変わっている。この繰り返しである。
そのほかにも気になることがいくつかある。コマーシャルが終わって番組が始まると、決まってコマーシャル前の映像が10~30秒程度流れる。これはつい先ほど見たので、再度見る必要はない。にもかかわらず流れてくる。わずか1、2分で話の流れを忘れるほどぼけてはいない。これを流さなければ話がつながらないのであれば、中途半端なところで話を切らないことである。同じように不要と思われるものに、1つの現象を数か所のカメラで撮影し、何度も角度を変えた映像を流すやつである。しつこいぐらい何度も流す。美術館や博物館で、通常正面からしか見ることができないものを、後ろや下から見られるというのなら価値がある。どうでもいいような現象を、角度を変えた数か所のカメラで撮り、それらを流すのは無駄としか思えない。いろいろと不満を感じるのは年のせいだろうか? コマーシャルを見てもらいたいための苦肉の策、番組制作者の手抜き、といった感じしか受けない。結局、リアルタイムで見るのはニュースとNHKになってしまう。もし、見たい番組があれば、録画してコマーシャルとその後の数十秒を飛ばしてみることにしている。このようにして番組を見ると、1時間番組は45分で終わってしまう。時間が節約でき、イライラせず満足感は倍増である。
番組に関してもう一点、再放送の多さも気になる。ものによっては番組欄に「再放送」の表示がないものがある。録画したものを見ていると、しばらくして気が付く。何とも情けないことではあるがすぐには気が付かない。ビデオデッキが普及しているにもかかわらず、なぜ、再放送がこれほど多いのか? 新聞や雑誌が紙面を埋めるために同じ記事を何度も載せれば大変な問題になると思うが・・・。なぜこのようなことがまかり通っているのか不思議に思う。
テレビに対していろいろと不満を抱いていると、偶然にも次のような内容が書かれている本を見つけた。それには、『日本のテレビでは、ドラマの見せ場や、クイズの正解直前などのヤマ場にパッとCMに切り替わってしまう「ヤマ場CM」が欧米よりも格段に多い。日本では40%、米国は14%、英国では6%、フランスではゼロである。日本の視聴者は、86%もが「不愉快」「イライラする」と感じている。<“グーグルが日本を破壊する“:竹内一正>』と書かれていた。ちょっと納得であるが、不快感を覚えない人が14%もいるのがびっくりである。楽しみは後にとっておく、という性格の人なのだろうか? それとも、もうすでに「待て!」「おすわり!」ができる人なのだろうか?
新聞の危機がささやかれて久しいが、案外テレビのほうが早いかもしれない。