22.配偶者
話し言葉というのは、時代とともに変化するものらしい。よく例に出されるものとして、「ら」抜き言葉がある。「食べられる・食べれる」「見られる・見れる」などである。これなどは特に気にしたこともなく、普通に使うし、普通に聞き流すことができる。正しい日本語ということからすると、問題があるのかもしれないが、個人的にはあまりこだわりたくはない。耳から入った言葉がすんなりと脳に到達し、かつ脳が違和感を持たないからである。これに対して、耳に入った瞬間に違和感を持つ言葉もある。脳に到達させたくない言葉と言えばいいかもしれない。その代表が「嫁」という言葉の使い方である。テレビのインタビューで「うちの嫁が・・・」というのを聞くと、どうも生理的に受け入れられないのである。
結婚した男女が自分の配偶者をどのように呼ぶのがいいのか? ここでは女性を例にとって考えてみる。意味が通じれば、どのように呼んでもいいのであるが、どうしても気になってしょうがない。女性の場合、「嫁」「妻」「女房」「家内」「奥さん」「かみさん」「かかあ」「うちのやつ」・・・等々。「かみさん」は刑事コロンボ(とはいっても日本語版での話)が使っているのが一般的で、ちょっと照れくさいときなどに使っている人を見かけるときがある程度である。これはそれほど違和感がない。「かかあ」「うちのやつ」などは、落語でしか聞いたことがない。したがって、これに対しても違和感がない。「妻」というのはちょっとかしこまったようで引っ掛かりを覚える。しかし、書類等に記入するとき、「本人との関係」という欄には「妻」と記入する。あるいは法律用語では「内縁の妻」というように、正式、公式に表現するときは「妻」が正しいのであろう。ただ一般の会話にはちょっと堅苦しい感じがする。それがやや違和感として感じるのであろう。ここからが問題なのである。「嫁」「奥さん」である。「奥さん」というのは、ちょっと聞いた感じでは自分の妻を尊敬していっているように聞こえるが、他人の妻に対して使う言葉で自分の妻に使うのは違和感がある。家では頭が上がらなくても、他人には見栄を張って「かかあ」という方が気持ちがいい。全く受け入れ難いのは、「嫁」である。これは外耳のあたりで拒否をして、鼓膜まで到達させたくない言葉である。なぜ、自分の妻に対して、「嫁」という言葉が受け入れ難いのか。理屈抜きに耳や脳が違和感を持つのである。別に嫁という言葉が嫌いなわけではない。使い方に違和感があるのである。こうなると、「嫁」の意味を調べるしかない。「嫁」の意味として、「息子の妻として他家から嫁いできた女性」となっていた。つまり、「うちの嫁」と言ったとき、自分の息子の妻を指すのであって、自分の妻を指すのではないのである。明らかに違う女性を指して言っている言葉である。決して意味を知って違和感があったわけではないが、用法として耳が違和感を持つ言葉があるということを始めて知った。正式な場では「妻」「家内」、それ以外では「女房」あたりが耳障りがいいように思う。しかし、時代の流れで「嫁」が正しい日本語になってしまうかもしれない。息子の妻を自分の妻に置き換えてしまう、ということはじっくりと考えると非常に恐ろしいことになる。このまま放置すると、
「嫁に子供が産まれました」
「それはおめでたいことですね。孫は目に入れても痛くない、といいますからかわいいでしょうね」
「いえいえ、孫ではなく子供です」
「・・・、えぇ~」