32.語学
何を思ったのか、数年前急に語学をやりたくなった。英語では物足りないというわけではないが、何かもっと刺激のある言語をやりたくなった。どうせやるなら珍しい言語がいいであろうということで、いろいろな言語を調べてみた。まず最初が韓国語である。「〇」「ト」「T」「人」「フ」の組み合わせのような文字が並んでいる。どうしても文字に見えない。記号のようでなかなかなじめそうにない。次に見たのがタイ語である。これは見ただけで、頭よりも先に目が混乱してきた。ずらりと並んだ文字がきれいな模様のように見える。適当な間隔で文字の上に髭が付いている。ちょっと興味がわいたが、じっくりと見ていると、これを受け入れるような脳の構造になっていないことに気が付いた。渋々あきらめることにした。次に見たのはアラビア語である。タイ語を上から押しつけて引き延ばしたような文字である。これは一見して無理であるということがわかった。興味も意欲も全く起きない。これほど意欲をそぐ文字も少ない。ギリシャ語は物理学で出てきた記号の羅列である。したがって、それほど違和感はないが、興味をもって取り組みたいという意欲はわかない。思わず笑いそうになったのがビルマ語である。視力検査で丸の一部が欠けたアルファベットの「C」のような形が向きを変え並んでいる。それらの所々から髭が出ている。これも区別をするのが難しそうな言語である。それ以上に覚えながら「右」「左」「上」「下」といってしまいそうである。ロシア語はアルファベットによく似ており、時々アルファベットを裏から見たような字が混じっている。テスト中にカンニングで、隣の人の答えを鏡に映して見ているようで何となく気に入らない。これによく似た言語がモンゴル語である。何も言われずに見せられればロシア語と答えるぐらいよく似ている。
とまあ、いろいろと言語を見てきたが、見れば見るほどやる気が萎えてくる。それほど一筋縄ではいかないのが言語である。これらは文字を見ただけで、発音に関しては全く未知である。文字でさえこれだけの威圧感があるのであるから、発音になるともっととんでもないようなことが起きるかもしれない。こんな恐ろしいことを今さらやる必要もないといえばないのである。あきらめかけたところに目に入ったのが中国語である。やはり思った通り漢字の羅列である。ひらがな、カタカナがないので違和感はあるが嫌悪感はない。これならやってやれないことはない、という気がしてくる。じっくりと見ると、日本の漢字とは違う漢字もあるが、基本的には覚えられなくはない漢字である。ということで、初級編の中国語の本を購入することにした。何冊か中国語に関する文法書や、例文集を購入した。漢字は似ているが発音がまったく違う。日本語にない発音が多い。いくら頑張ってもネイティブのまねはできない。わかりやすい例を挙げると方言である。その方言を日常語としない地域の人が、いくら頑張って使ったところですぐに気付かれてしまう。それぐらい発音は難しい。悪戦苦闘すること数年。少しは読めるが会話ができない。基本的に言語は覚えなくては話せないのである。年とともに、その覚えるということがまったくもって大変なのである。よくよく考えてみると、中・高・大学と10年間もやった英語がものにならないのに、他の外国語が数年でものになるはずがない。つくづくと当たり前のことを反省する羽目になってしまった。反省ついでにいえば、東京で11年間も生活したにもかかわらず、全く東京弁がしゃべれない。これはあまり関係ないか? 語学もスポーツや音楽、料理と同じく、センスというものが必要である。そのセンスのなさを、身をもって知っているはずなのであるが、再挑戦してしまった。さて、中国語の続きをどうしたものか? 「加油!」と掛け声を掛けるが、ボケ防止のために続けるには負担が大きすぎる。「適当にやっといたらええじゃん!」(東西コラボ?)、 と言いつつ悶々とする日々が続いている。