82.ピアノ

 ある日、何気なくテレビのチャンネルを切り替えていると、おじさんが駅に設置されているピアノを弾いていた。全く不釣り合いに見えるその画面に見入ってしまった。ピアノやバイオリンといった楽器には全く縁のない家庭で育ったので、これらを自由に弾けることに対しては心底うらやましく感じる。そのおじさんは、決してうまいとはいえないが、なぜか引き込まれてしまった。そのあともいろいろな人がやって来てピアノを弾いていく。うまい下手ではなく、その人柄の紹介に興味がいく。子供のころに習い事として始めた、母親から習った、還暦を迎えてから独学で始めた、バンドを組んでいる、音楽教室の教師をしている等、いろいろな人がいる。テレビ欄を見ると、駅ピアノ、空港ピアノ、街角ピアノ・・・、となっていた。国内編も海外編もある。多くの国で多くの人々に愛されて弾かれていることがわかる。

 なんとなくいい感じの思いに浸っていたが、ふと過去を思い出した。ある時期、東京の音楽大学の近くに住んでいた時がある。バブル真っ盛りで、近所の畑にどんどんアパートが建ちだした。多くの大工が外国人であった。なんとなく違和感のある光景であったが、これも一時代の出来事と流していた。その中の一棟に「音大生専用」という看板が取り付けられていた。内容を読んでみると、「防音対策が十分に施してあるので音が外部に漏れない」と記されていた。なるほど、集合住宅でピアノやバイオリンを弾かれたのでは、隣近所はたまったものではない。これがピアノやバイオリンに縁がなかった理由の一つかもしれない。隣近所の迷惑にならないようにするには、ぽつんと山中に建った一軒家であるか、防音対策が完璧に行き届いた家でないといけない。そういった意味では、海外に比べると日本はハンデがある。かつてはウサギ小屋と言われたくらい小さな家に暮らしていたからである。

 話を元に戻す。防音対策の行き届いた音大生専用のアパートが完成したある日、買い物帰りにその横の道を歩いていた。そこへピアノの音がはっきりと聞こえてきたのでちょっと驚いた。窓を閉めてピアノを弾かなければ、せっかくの防音対策が意味をなさないではないか、と思ったからである。そして、音大生専用アパートへ目を向けると、すべての窓はしっかりと閉まっていた。防音対策が不十分で音が外へ漏れていたのである。たまたま道を通った者は、誰かがピアノを弾いているのだな、くらいで済むが、隣近所ではそうはいかない。またか? 今日もこれから数時間弾くのか? ということにならないだろうか? これではたまったものではない。それとも音大生同士お互い様、ということになるのだろうか?

 ピアノは今でもこのように多くの犠牲者のもとに成り立っているのだろうか? それとも何か技術的に消音するような機能が組み込まれていて、他人に迷惑をかけないようになっているのだろうか? もし、そうだとすれば、思いっきり大きな音で、回りを気にせず弾ける駅や空港、街角ピアノが歓迎されるのは理解できる。これならウイン-ウインの関係が築けることになる。