鋏
「何とかと鋏は使いよう」ということわざがある。鋏は使い方でよく切れることもあれば切れないこともある。ということに関して、意味を拡大解釈した使い方が記されている。切れる鋏ならこの解釈は可能であるが、切れない鋏ではどうにもならない。どう頑張ってみてもなんともならない。イライラするだけである。
この切れない鋏というものには2種類ある。まったく全然切れないものと、一部分が切れない鋏というものがある。全く切れない鋏はあきらめがつくが、一部分が切れない鋏というのはなかなか処分しきれない。切れる部分だけを使って切ることができる。わずかな長さを切るにはこれでも十分な役割を果たす。しかし、大量に切ったりするときは全くお手上げである。イライラがつのる。いつからきれなくなったのか? つい先日までは十分に切れていたように思うが・・・。というようなことが度々ある。そのたびに新しい鋏を購入することになる。その結果が写真のような状況を生み出す。
というわけで、わが家には鋏がたくさんある。髪用、紙用、布用、台所用、植木用等、5種類でざっと21丁(本)ある。なぜこの切れない鋏を処分しないのか。これにはモノづくりをしているものとしてのプライドが許さないのである。たいていのものは修理・手入れをすることで使えるようにしてきた実績がある。同じように切るものとしては、包丁やナイフがある。これらは研磨することで、最初と同じ切れ味にすることができる。その刃が2枚付いただけで全く再生ができないのが鋏である。何度か再生を試みたがすべて失敗に終わっている。失敗というよりはさら切れ味が悪くなっている。
今回は威信をかけてこれらのはさみを再生しようと決意した。まず、鋏が切れる原理をしっかりと理解し、それにかなった研磨・修理をしようと思う。研ぐのは刃が接する幅1mm程度の角度のついた部分だけである。これを最初と同じ角度で、しかも一直線に研がなければならない。これができないと、刃の一部分で全く切れないところが生じてしまう。鋏は線で切っているようで、実際には点で切っている。したがって、刃全体をきれいに研磨し、すべての部分で上下の刃が点で接しなければならない。そのためには刃が直線ではいけない。緩やかな局面を描いていなければいけない。上下の刃が緩やかな局面を描き、それらがかみ合う部分で点となったとき見事な切れ味を発揮する。
理屈は理解できた。いよいよ研磨である。鋏を分解し、片刃ずつ万力で挟み、砥石で刃面を研いでいく。研ぐとき注意しなければいけないのは、包丁やナイフのように鋭角な刃を付けてはいけないということである。研磨後は刃が緩やかな局面を描いているかどうかを確認する。最も難しいのは、上下の刃を組んだ後、刃を動かしたときに点で接し続けるように調整することである。上下の刃に適度な湾曲を持たせるために、刃を上や下からたたく。
調整の終わった上下の刃を組み付け、中央部をカシメて完成。さて、試し切りである。見事にシャーといい音を立てる鋏もあれば、ガシャッと紙が嚙みこみ全く切れない鋏もある。「修理と破壊は紙一重」である。再度チャレンジするときのためにこれを取り置くことにする。