美
自分自身にはあまり縁のない言葉であるが、世の中には美しいものが多くある。人工物の美しさは素養がないのでよくわからないが、自然界には美しいものが多い。形や色、存在そのものが美しいものがある。菜園内で栽培しているものでも、それぞれに美しさを持っている。最も面白いのはアブラナ科の植物である。種はほとんどすべてのものに共通で、色、形、大きさが同じである(全く同じというわけではないが、違いは誤差の範囲である)。発芽して双葉が出るころまではほとんど区別がつかない、本葉が出るころからそれぞれの個性が出てくる。葉の形、収穫物の形がまったく違ったものが出来上がる。キャベツや白菜、コマツナ、ブロッコリー、ダイコン・・・、それぞれ個性のある形をしている。すべての植物がそれぞれの美しさを備えている。形がいびつでも、曲がっていても、その美しさには変わりがない。
日本の市場では、その美しさに基準を設け、統一的なものにしてしまっている。とにかくキュウリもナスビもダイコンもすべて真っすぐである。家庭菜園ではこのようなものばかりが収穫できるわけではない。この基準でいけば、多くが基準外ということになってしまう。食べてみればわかるが、まったくといっていいくらい味の変化はない。これほど見た目を重視した作物を求め続けることに矛盾を感じる。これらを作るためには相当大きな努力や無駄が生じているものと思われる。
スーパーで売られているピーナツの処理形態には3種類ある。殻付きピーナツ、薄皮付きピーナツ、皮むきピーナツである。それらはどれも味に関して大きな違いはない。これだけを食べている限りは決してまずくはない。ビールの友としては最高である。特に、バターピーナツや揚げピーナツなどは、さらに油分が含まれ美味しくなる。ところが、千葉県八街産の半立ち種のピーナツを食べた時に衝撃を受けた。これが同じピーナツかと思うくらい美味しかった。普段食べているものとは全く別物である。値段も全く別物というくらい高価ではあるが・・・。この美味しさがピーナツ栽培を始めた理由である。半立ち種よりも大きなオオマサリ(半立ち種の倍くらいの大きさがある)ならさらにいいだろうと始めた。これもすばらしい味である。しかし、美しさとはかなりかけ離れていることがある。どこが美しくないのか? 殻の色である。いたるところに茶色の斑点やシミがある。模様かと見間違うくらい多い。これは半立ち種も同様である。殻のいたるところに斑点やシミがある。見慣れた今だから言えるが、初めて見た時は病気に感染しているのでは、と思ったくらいである。国産のピーナツには、いま日本の市場で見られる美しさはない。しかし、味は最高である。
最も美しいと思われる輸入ピーナツは、殻に全く斑点やシミがない。シミ取りをしたのではないかと思うくらいきれいな色をしている。しかし、味に関しては国産とはまったく比べものにならない。ピーナツの種類が違うのであればいいが・・・。美しさを求めるあまり何か加工をしているのであれば問題である。植物も人間も美を求めたくなるのはわかるが、加工してまでそれを得ることは考えものである。外見ではなく中身で勝負してもらいたい。
<左から輸入品、半立ち、おおまさり>