135.断捨離
アトリエ内を見渡すと、材料や作品が入り乱れ、新たに購入した材料の置き場が確保できない状態になっている。何とかそれらの一部を片付け場所を確保した。作品が出来上がるとまたも場所の確保に時間を割かなければならない。そんな時によく耳にし、目にした言葉がある。断捨離である。なんとなく今の状況を解決してくれそうな気がした。おおよそのことはわかるが、正確な意味まではよくわからないので調べてみた。『(1)断:新たに手に入りそうな不要なものを断つ。(2)捨:家にずっとある不要なものを捨てる。(3)離:物への執着から離れる。』と、なっていた。
(1)、(2)にある「不要」なものという部分が引っかかる。わがアトリエ内には不要なものは何一つとして存在しない。したがって、「断捨」は存在しないことになり、残るのは「離」のみである。物への執着があるから身近に置きたいのである。これを遠ざけることは精神衛生上非常に具合が悪いことである。これで「離」も簡単に脱落である。「断・捨・離」のすべてが不適合ということになった。アトリエ内が片付かないのは仕方がない、ということになってしまう。これでは困るのである。アトリエ内を何とかしたいのであるが、なんともならない現実がある。では、どのようになんとかしたいのかというと、すべての物をきちんと置ける(展示できる)ようにしたいのである。
捨てることなくこれを実行しようと思えば、スペースを広げるしか方法はない。しかしそのスペースも資金もない。スペースを広げられないとすると、現在の空間をうまく利用するしか方法はない。まず第一に、床に設置したものの上部に出来た空間をうまく利用するのである。上に置けるものはそのまま上に乗せる。乗せられない場合は天井から吊るす方式を採用する。これでかなりの空きスペースを確保することができた。さらにスペースを確保するために行ったのは、壁にかけた作品を前後に重ねるのである。これで壁の収容面積は2倍になった。やればできるものである。これでまだまだ作品制作を続けることができる。あとは枯渇しかかっている創造力を確保できるスペースを脳内に作るだけである。
断捨離という素晴らしい言葉から全くの対極での生活を続けることになった。気分的にはすっきりとしたはずであるが、なんとなく引っかかるところもある。何が引っかかるのか? この状態をどのように表現すればよいのかということである。「断捨離」のそれぞれの言葉の反対語をつなぎ合わせてみると「続拾合」となる。しかし、これは単なる言葉遊びでしかない。断捨離のような思想的な重みを感じない。単なる「横着」なだけである。
材料や作品はアトリエ内に限り、外部には出さないようにしている。ゴミ屋敷と間違われないためである。材料はともかく作品までガラクタとみなされてはたまらない。