140.酔っ払い考(その4)
今まで多くの職場、酒場で酔っ払いを見てきた。そこまで飲むか? それをするか? そこで寝るか? 面白いことや危険なこと、普通では考えられないことをいろいろするのが酔っ払いである。酒を飲まない人からすると全く理解不能であろう。そこまで飲まなければいいのに、と思うはずである。しかし、酒飲みは酒をやめられないのである。決してアルコール中毒というほどではなくてもそのような考えになる(ひょっとするとそれがもうアルコール中毒なのかもしれないが・・・)
都会の終電車は混雑する。これを逃すと高額なタクシー代を支払って帰宅しなければならない。その前に長いタクシー待ちの列に並ばなければならない。二重苦が待ち受けているから何が何でも乗り込まなければならない。乗り込んだら乗り込んだで次なる問題が発生する。周りに女性がいると何を勘違いされるかわからない。体をくねらせながら距離をとる。日本酒と餃子を食った中年男性がいると、口臭で目が回りそうになるのでこちらも即移動である。非常に困難な状態でも、より良い態勢を築くために移動する。
こんな混雑の終電にぽっかりと空白地帯が発生した。3人の学生と思しき人物の周りである。一人の学生はひどく酔っぱらっているようである。足元がおぼつかない。フラフラとしている。二人が両サイドから彼を支え、一生懸命励ましている。「大丈夫か?」「もうすぐ降りるからそれまで我慢しろよ!」「吐くなよ!」「ビニール袋を持っていないか?」等、一生懸命酔った彼を励ましながら、何とか吐くのを我慢させようとしている。周りの人は、ここで吐かれたらたまったもんじゃない、と思いつつ後ずさりする。服や靴にかけられては大変である。できるだけこの3人から離れようとする。あるいはこの酔っている彼の前から後ろへ回ろうとする。全員がこのような心理状態なので、おのずと彼らの周りから人が引き始める。そうこうしていると、そこにはぽっかりと空白ができていた。これだけ混雑しているにもかかわらず、この車内にこれだけの空白地帯ができることがすごい。空白ができたせいで彼らの姿がよく見えるようになった。相変わらず酔った彼は下を向いたまま吐くのを我慢しているように見える。その彼をさらに一生懸命励ます二人に同情する。そうこうしていると下車駅に着いたので3人は下りて行った。すぐにその空白は人で埋まってしまった。
ここでふと疑問がわいてきた。本当に彼は吐くほど酔っていたのか? ぎゅうぎゅう詰めの電車にゆったりと乗れるように演技をしたのではないか? 確かに彼らの周りはすぐに空白ができた。酔っている彼の顔はそれほど蒼白ではなかった。何よりも下りる時の颯爽とした歩き方は酔っているようには見えなかった。
数百人が詰め込まれたぎゅうぎゅうの車内で演技ひとつで空白地帯をつくり出す。そのアイデアに恐れ入った。演技力ではなく、「酔っ払い=ゲロ」という等式をうまく利用したのである。